今日の神坂課長は、元営業1課長の西郷さんが主査する『論語』の読書会に参加しているようです。
今回も大累課長が同席しています。
「儒学の重要な教えに、五倫というのがあります。聞いたことはありますよね?」
「神坂さん、五倫ですからね、オリンピックじゃないですよ」
「やかましいわ、相変わらず先輩をなめ腐った奴だな」
参加者は皆、破顔一笑です。
「五倫とは、君臣の義、父子の親、長幼の序、夫婦の別、朋友の信の5つです」
西郷さんがホワイトボードに書きながら説明しています。
「つまり、君主と臣下、現代に置き換えると、上司と部下の間には互いにいつくしみの心があること。親と子の間には親愛の情があること。年少者は年長者を敬いしたがうべきこと。夫婦にはそれぞれの役割があること。友人同士は信頼で結ばれていること。この5つが円滑な人間関係を築く上において大切なものだという教えで、『孟子』に掲載されています」
「なるほど。母親が出てこないのは、時代的なものですかね?」
神坂課長が質問しています。
「神坂君、そうだね。儒学自体が人を治め、国を治めるために学ぶ学問だったから、必然的にそういう書き方になっているんだね。ただ、現代では親子と置き換えて読んでも良いだろうね」
「そうですよね。そうじゃないと良くテレビに出ている田山陽子さん辺りが目くじらを立てて文句を言ってきそうですよね」
「たしかに。あの人は極端ですけどね」
神坂課長と大累課長のやり取りでまたまた一同は爆笑に包まれています。
「しかし、実はもうひとつ見落としている関係があるんだけど、神坂君、わかるかな?」
「え、まだありますか? なんだろうな・・・。あ、学校の先生と生徒さんですか?」
「おお、ほぼ正解かな。師弟関係が書かれていないんだよ」
「確かにそうですね」
「それで学者先生の間でも、そういうことが議論されたようでね。師弟関係は朋友、つまり友人関係の中に含まれるのだと解釈する学者さんも多かったようなんだ」
「なんか違和感がありますね」
「神坂君は違和感を感じる? 皆さんはどうですか? 実はこれに対して、たとえば佐藤一斎なんかは、そうではないと言い切っています」
「おお、一斎先生ですか」
「一斎は、君臣の義の中に含まれるという説を採っています。かつては君主がそのまま人格的にも勝れた師匠を兼ねていたというのです。それがいつしか君主の中に暴君が現れるようになり、別に人間的に勝れた師匠を探す必要性が生まれてしまった。つまり、君主の在り方が乱れた結果、師匠というものが登場したということを説いています」
「なるほど。ということは、現代においては、上司と部下の関係が君臣の義ですから、そこに本来は師弟関係のようなものも含まれるべきなんですね」
「そのとおり! 上司は頭が切れるとか仕事が出来るだけではダメだということです。部下や後輩の鑑にならなければならないのです」
「とても耳が痛い話です。な、大累」
「はい。我々のような学のないリーダーには、こういう会はとても有り難いです」
「そう言ってもらえると、この会を主査している身としてはこの上もなく嬉しいね。自分自身、つねに『論語読みの論語知らず』になっていないか不安でもあるのでね」
「俺は彼らの鑑になれているのか? いや、その点では失格だな」
神坂課長は心のかなで自問自答したようです。
ひとりごと
本章の指摘は、心に刺さります。
小生はこれを企業に置き換えて読み、物語を作りましたが、この言葉こそ是非政治家諸氏の心に刻んで欲しい
ものです。
国民の代表だと言いながら、実は自分の名を残すことを優先する内閣。
政策の中身より派閥の存続を優先する与党。
枝葉末節の問題を指摘して、与党の欠点探しをする野党。
果たしてそんな政治家諸氏は、国民の鑑になり得ていると堂々と言い切れるのでしょうか?
【原文】
聡明睿智にして、能く其の性を尽くす者は君師なり。君の誥命(こうめい)は即ち師の教訓にして、二無きなり。世の下るに迨(およ)びて、君師判る。師道の立つは、君道の衰なり。故に五倫の目、君臣有りて師弟無し。師弟無きに非ず。君臣即ち師弟にして、必ずしも別に目を立てず。或ひと朋友に師弟を兼ぬと謂うは悞(あやま)れり。〔『言志録』第177条〕
【意訳】
聡明叡智であって本性をいかんなく発揮できるのは君主と師匠としての性格を兼ね備えた人物である。君主の言による命令は、そのまま師の教えでもあって、別のものではない。後世になると君主と師とが分れてしまった。師の道が立つということは、君主の道が衰微したことになる。それ故に五倫の徳目には君臣の義はあっても、師弟については触れられていない。師弟という関係がないのではなく、君臣の関係が即ちそのまま師弟の関係を意味しており、あえて別に立てる必要がなかったからである。ある人が朋友の関係が師弟関係を兼ねると言っているが、大きな間違いである。
【ビジネス的解釈】
儒学の教えの中に五倫(君臣の義、父子の親、長幼の序、夫婦の別、朋友の信)がある。この中に師弟関係の記載がないのは、かつては君主が師匠の役割を兼ねていたからである。つまり、人の上に立つ者は、人を指導するだけでなく、人間力を磨いて人の鑑とならなければならない。