定時後、営業2課の石崎君と善久君が居室で雑談中のようです。


「ゼンちゃん、その後も事故の相手のところにお見舞いに言ってるの?」


「毎日、顔を出しているよ。それしか僕にできる誠意の示し方がわからないからさ」


「偉いな。俺ならそこまではできないな。でもさ、とかなんとか言いながら、本当はあの娘にホレちゃったんじゃないの?」


「ば、馬鹿なことを言うなよ。僕は事故の加害者で彼女は被害者だよ。そんな気持ちを持ったらバチが当るよ」


「そうか、ゼンちゃんはその気なしか。でもあの娘はめっちゃ可愛いよね。俺、アプローチしてみようかな?」


「ザキ、ふざけるなよ。会社の信用問題になるだろう」


「なんでだよ! 真面目に付き合えば問題ないだろう。ゼンちゃんが俺達の恋のキューピッドになるんだぜ」


「絶対にやめろよな!」


「ゼンちゃん・・・。お前、やっぱりホレてるな」


「か、可愛いなとは思ってるよ。でも、今はそういうことを言うときじゃないだろう」


「うん。素直でよろしい。それなら応援してやる!」


「なんでそんなに上からなんだよ! 付き合えるわけなだろう!」


「それにしても、骨折じゃなくて良かったな」


「いや、骨折ではないけど、膝関節の脱臼だからね。しっかり固定しておかないと癖になるかも知れないんだって。心配だよ」


その翌日。


「おい、善久。被害者の子の状態はどうだ?」


「はい、神坂課長。明日退院できるそうです。当分は松葉杖での生活になりますので、自宅で1週間程度は療養するそうです」


「やっぱり若い子の回復力は凄いな。ところで、善久。お前、その子にホレてるんだって?」


2課のメンバー全員がニヤニヤしています。


「そ、そんなことないですよ! ザキ、お前もうしゃべったのか!」


「お先に失礼しまーす」


「逃げるな!!」


「善久、日本で二番目に口の軽い男に話をしたお前が悪いな」


「二番目ですか?」


「そう、圧倒的な差で日本一は俺だから」


「それ自慢することじゃないですよ!」


「善久、人に聞かれたくなかったら、しゃべらないことだな。人に知られたくないと思ったら、目立った行動はしない方がいい」


「でも、私は彼女にホレたからお見舞いをしているわけではないですよ。本当に申し訳ないと思っていて、どうしていいかわからないから毎日頭を下げに通っているだけです」


「相手の子や親御さんもよくウザがらないな」


「はい。毎日来なくて良いと言いながら、行ったら行ったでお話をしてくれます」


「お前の人柄だな。しかし、たとえ言葉を発しなくても、行動で隠せていると思っても、心の中は相手に伝わるからな。お前の好きだという気持ちはできれば捨てた方がいいな。可愛そうだが・・・」


「はい。自宅に戻ったら毎日通うわけにはいきませんし、少し間を空けてお見舞いに行くようにします。その間に、心の中を整理します」


「切ない恋だな。でもまあ、お前から告白するわけにはいかないだろうな」


「はい。正直に言って、違う形で会いたかったです」


「すくなくともお前の誠意は間違いなく相手に伝わっている。そろそろ顔を出すのは控えた方がいい」


「そうですね」
善久君はどこか寂しそうです。


「仕事でもそうだぞ。いくら『やり方』を学んでも、『在り方』が正しくなければお客様の心を動かすことはできない。だから、技術や知識だけでなく、心を磨く必要があるんだ」


「はい」


「なんて、偉そうなことを言ってるが、これは俺自身に言い聞かせているんだよ、実は。まあ、そんなに寂しい顔をするな。まず怪我の程度が酷くなくて、被害者が退院できたことを喜ぼう。今日は飯を奢ってやるから付き合え」


「『季節の料理 ちさと』に行きたいです!」


「おお、お前は行ったことがなかったか。じゃあ、そうしよう。でも、ママにはホレるなよ!」


ひとりごと 

自分の心の内を隠すのは容易なことではありません。

言葉で言わなくても、態度や表情に表れます。

行動を慎んでも、ふとした仕草に本心が表れます。

だからこそ、心を磨く必要があるのです。

心が技術を超えない限り、技術は生かされません!


原文】
枚乗(ばいじょう)曰く、「人の聞く無きを欲せば、言う勿きに若(し)くは莫(な)く、人の知る無きを欲することは、為すこと勿きに若くは莫し」と。薛文清(せつぶんせい)以て名言と為す。余は則ち以て未(いまだ)しと為す。凡そ事は当に其の心の何如を問うべし。心苟くも物有れば、己言わずと雖も、人将に之を聞かんとす。人聞かずと雖も、鬼神将に之を闞(うかが)わんとす。〔『言志録』第191条〕


【意訳】
前漢の人である枚乗が「人に聞かれたくないと望むなら、自ら言わないにこしたことはない。人に知られたくないと望むなら、自ら行わないにこしたことはない。」と言った。明代の儒者である薛文清(せつぶんせい)が、このことばは名言だとしている。だが私は、まだ不十分だと思っている。およそ物事は、それをなす人の心の在り様が問題なのだ。かりにも心に一物を持っていれば、言葉を発せずとも、それは人の耳に届いたも同然である。また人の耳に入らなくとも、鬼神がこれを窺い知ることとなろう。


【ビジネス的解釈】
人に聞かれたくないと望むなら、自ら言わないにこしたことはない。人に知られたくないと望むなら、自ら行わないにこしたことはない。しかし、仮に隠したところで心の在り方というものは表に出てくるものだ。だからこそ、ビジネスにおいては、「やり方」よりも「在り方」が重要なのだ。


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