今日の神坂課長は、営業部の佐藤部長と一緒に、N鉄道病院名誉院長の長谷川先生を訪ねているようです。


「長谷川先生、最近本を読んでいると中庸とか、バランスをとるとかいったキーワードがよく目につくんですが、いつも最適を選ぶのは難しいことですよね?」


「神坂君、最近よく勉強しているんだね。ただ、無理してバランスをとる必要はないんだよ」


「どういうことですか?」


「本来、人間は生まれながらに中庸を体得して生まれてきているんだよ。ところが生きているといろいろな邪念や欲望が芽生えてきて、いつの間にか中庸を見失ってしまうんだ」


「そういうことなんですか?」


「ねぇ、佐藤さん。たしか佐藤一斎先生もそう言っていなかった?」


「はい、長谷川先生。おっしゃるとおりです。一斎先生は深夜、独りで座って瞑想をすると、シーンと静まりかえった中に微かな光が見えると言っています。その光こそが自分の心の本体であって、それが万物をすべて過不足なく育てているのだ、と言っています」


「なんだか、難しいですね」


「すべての物が本来はベストポジションをしっかり認識しているということだよ」


「そうなんですか? その割には日本でも世界でもなんだか悲惨な出来事が多くないですか?」


「自分の欲を満たすことだけを考えて生きている人間が多いからだよ。人間は独りでは生きられないのに、互いに助け合う精神というのを忘れてしまっているんだろうね」


「でも、私も少し前までは自分のことしか考えていなかったような気がします。その頃はすべてが自分の思いと結果が逆になったりしていました。今は少しは相手を思いやることができるようになったと思うのですが、そうするとかえって周りが自分の望む状態になってきたように感じています」


「素晴らしいね。まさに『情けは人のためならず』だね」


「神坂君は若い頃に自分の感情のままに生きたからこそ、今になって自分のあるべきポジションを見つけることができたのかも知れないよ」


「それは、私のような人間でもクビにせずに暖かく見守ってくれた佐藤部長のお陰ですよ」


「美しい師弟愛だね。私もしばらく忘れていた熱い想いを思い出したよ。ちょうど多田君が神坂君のようなやんちゃなところがあったからね。しかし、彼も今では立派な医者になってくれた」


「多田先生はある意味で私の師匠です。いつも良書を選んでくれますし、本気で私を叱ってくれますから」


「そうか、それを聞くと嬉しくて涙が出てくるね」
長谷川先生が目頭を押さえています。


「長谷川先生・・・」


「あ、私も年をとったな。なんだか涙もろくなってしまった。しかし、そういうことだと、神
坂君は私の弟子の弟子になるんだね」


「ああ、そうですね。師匠の師匠が長谷川先生ですから。長谷川先生、これからもご指導よろしくお願いします!」


ひとりごと 

本章では、一斎先生は「中和」という言葉を使っています。

『中庸』という儒学の古典によると、

中:喜怒哀楽がまだ発動していない状態

和:喜怒哀楽が発動した後、それが節度を保っている状態

なのだそうです。

つまり、嬉しい時は喜び、悲しいときは哀しめば良いのです。

ただし、度を越すことなく、いつまでも長引かせないことが重要なのではないでしょうか?


原文】
深夜闇室に独坐すれば、群動皆息み、形影倶に泯(ほろ)ぶ。是に於いて反観すれば、但だ方寸の内烱然(けいぜん)として自ら照す者有るを覚え、恰(あたか)も一点の燈火闇室を照破するが如し。認め得たり、此れ正に是れ我が神光霊昭の本体なるを。性命は即ち此の物。道徳も即ち此の物。中和位育に至るも、亦只だ是れ此の物の光輝、宇宙に充塞する処なり。〔『言志録』第214条〕


【意訳】
真夜中、真っ暗な部屋に独りで坐ってみると、総ての動きがやみ、影も形もないようである。そこで深く考えてみると、心の内には明らかに自らを照らすものがあることを悟り、あたかも一つの燈火が暗室を照らすようである。これが正にわが心の不思議な輝きを放つ本体であることに気付く。『中庸』にある性命も、道徳もこれであろう。『中庸』にあるように、すべてが程良く過不足なく、天地各々その位に安んじ、万物が化育するといったのも、ただこの不思議な光が全宇宙に充ち塞がっているに過ぎないのだ


【ビジネス的解釈】
中庸であることが大切であり、やり過ぎも良くない、不足するのも良くない、と言われると迷いが生じてしまう。しかし、そうした中庸の心というのは学びとるものではなく、本来は生まれたときから与えられているのだ。時には静かに自分の心と対話をすることで、天地との調和を図ることも必要である。


41Zd7LJN7dL