今日の神坂課長は、善久君の営業活動に同行しているようです。

商談を終えた後、帰りの車の中で、神坂課長がフィードバックをしています。

「善久、なぜ最後のところであと一押ししなかったんだ?」

「まだ、先生の心の中で葛藤があるように感じたので・・・」

「お前は、今提案している内視鏡が院長先生にとって課題解決のお手伝いにつながると思っていないのか?」

「いえ、絶対にお役に立てると確信しています。でも、決めるのは先生ですから・・・」

「善久はサッカーをやっていたんだよな?」

「はい」

「確かお前はミッドフィルダーだったよな。ゴールを決めるのはフォワードの仕事だが、そこに的確なパスを出してアシストをするのが、MFの仕事だろう」

「購入のアシストをしろってことですか?」

「お役に立てると確信しているなら、背中を押す一言でアシストするのさ」 

「・・・」 

「この前、お前はお父さんの誕生日にご両親に旅行をプレゼントしたんだろ? それは、見返りを求めずにお前を育ててくれたご両親に、少しでも喜んでもらいたいと思ったからじゃないか。それと同じ気持ちでお客様とも接してみろよ」

「親に対するのと同じ気持ちでお客様に接するのですか?」

「そう。患者様のことをあんなに考えて医療をしている先生なんだ。だからこそ、もっとお役に立てる器械を使って欲しいじゃないか!」

「課長、わかりました。明日、もう一度お邪魔して、親に伝えた言葉をアレンジして先生に話してみます!」

「いいね! あの先生の奥さんは、以前俺が担当していた病院に勤務していたからよく知ってるんだ。実は昨日、よろしくとメールを送ってあるんだよ」

「課長、ナイスアシストありがとうございます。もう1つ課長のご恩に応えるためにも、しっかりゴールを決めます!」


ひとりごと 

儒学においては、「忠」という徳目は、「自分の全力を尽くすこと」だとされます。

孔子の高弟だった曾子は、「孝」という徳目も、「自分より立場の上の人に対して全力を尽くしてぶつかる」という意味では同じだと言っています。

親孝行な人は、上司に敬意を持って接するだけでなく、仕事に対しても全力を尽くす人なのかもしれません。


原文】
君に事えて忠ならざるは、孝に非ざるなり。戦陣に勇無きは、孝に非ざるなり。曾子は孝子、其の言此の如し。彼の忠孝は両全ならずと謂う者は、世俗の見なり。〔『言志録』第216条〕

【意訳】
君主に仕えて忠義を尽せないのは、孝とは言えない。戦場で勇気を起さないことも、孝とは言えない。孔子の高弟である曾子はそう言っている。忠と孝を共に尽くすことはできないという人がいるが、世俗の意見に過ぎない

【ビジネス的解釈】
上司に仕えて忠義を尽せないのは、孝とは言えない。また、自分が任された仕事に対して勇気を発揮できないことも、孝とは言えない。忠と孝は別のものではない。どちらも自分の全力を尽くすという意味では同じ徳目なのだ。


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