今日の神坂課長は、A県立がんセンターの多田先生を訪ねているようです。

「神坂、少しくらい本を読んだからって、偉そうにするなよ」

「え、そ、そんなことはしてませんよ」

「嘘つけ! 最近、お前が本を読んでいることを自慢していると聞いたぞ!」

「だ、誰からですか?」

「ほら、あの少年のような子だよ」

「石崎ですか! あの野郎、ぺらぺら言い触らしやがって!」

「本に書いてあることをろくに理解もせずに、ぺらぺらしゃべってるのはお前だろう」

「まあ、確かにそうですね。でも、多田先生、良いなと思ったことはどんどん発信しながら、自分のものにしたいという思いもあるんです」

「頭で理解したつもりになっても、実際に行動してみると、いかに理解していなかったかに気づかされる。そして、もう一度本を読み、反省を活かして実践するんだ。そうすれば、得るものは大きいし、人に伝えても伝わるようになる」

「なるほど、おっしゃるとおりです。反省しました」

「その素直さはお前の最大の魅力だな」

「ありがとうございます。ところで、多田先生。実践、実践と言いますが、実践する上で一番大切なことは何ですか?」

「人に嘘をつかないことだな」

「そんな簡単なことですか?」

「馬鹿野郎! 簡単なことじゃないぞ。だいたい、少し前にお前は俺に嘘をついたじゃないか」

「うっ、そうでした」

「俺が言いたいのは、人に心で嘘をつかないことを心がけろ、ということだ」

「心で嘘をつく?」

「そうだ。人間は言葉とは反対のことを考えていることが多い。お前も反省していますと言葉で言いながら、心の中では、帰社したらあの少年をとっちめてやろうと思っているだろう」

「そ、そんなことはないですよ」

「本当か?」

「いえ、考えていました。すみません」

「いいか、神坂。人に嘘をつかないと覚悟するなら、まず自分に嘘をつかないことを覚悟しなければいけないんだ」

「自分に嘘をつかない覚悟ですか?」

「儒学では、自分に嘘をつかないことを『忠、人に嘘をつかないことを『信と呼ぶ。この『忠『信をあわせて『誠と言うんだ」

「ああ、『誠ですか。最近よく『誠』という言葉を目にするのですが、イマイチ意味が分らなかったんです。そういうことなのか?」

「神坂、まずは自分に嘘をつかないことから始めてみろ。自分の心に正直に、真っ直ぐに生きてみろ。そうすれば、どんな結果になろうと後悔することはないはずだ」

「多田先生・・・。(多田先生は、俺が後輩を失って落ち込んでいることを知っているんだな。石崎か、あの野郎、余計なこと言いやがって! でも、きっと心配してくれたんだろうな。今晩、鰻でも奢ってやるかな)」


ひとりごと 

孔子は常に行動を重視します。

言葉は二の次で、まず実践しろと何度も言っています。

「○○したい」と思うだけでは何も変わりません。

思ったら即行動に移して、とにかく一歩を踏み出す。

人生を変えたいなら、それしかないですね!


原文】
孔子の学は、己を修めて以て敬するより、百姓を安んずるに至るまで、只だ是れ実業実学なり。四を以て教う。文・行・忠・信。雅(つね)に言う所は詩書執礼。必ずしも耑(もっぱ)ら誦読を事とするのみならざるなり。故に当時の学者は、敏鈍の異有りと雖も、各おの其の器を成せり。人は皆学ぶ可く、能と不能無きなり。後世は則ち此の学堕ちて芸の一途に在り。博物多識、一過して誦を成すは芸なり。詞藻縦横、千言立ち所に下るは、尤も芸なり。其の芸に堕つるを以ての故に、能と不能有りて、学問始めて行儀と離る。人の言に曰く、某の人は学問余り有りて行儀足らず、某の人は行儀余り有りて学問足らずと。孰(いずれ)が学問余り有りて行儀足らざる者有らんや。繆言(びゅうげん)と謂う可し。〔『言志後録』第4章〕

【意訳】
孔子門下の学問は、修身によって他者を敬する気持ちを育て、人々の気持ちを安らかにすることまで、すべて実践重視の実学・活学である。それを以下の四つの項目にって行うのだ。すなわち文(古の経書を読むこと)、行(篤実な行いをすること)、忠(おのれの本分を尽くすこと)、信(約束を違わないこと)である。つねに孔子が述べているのは、『詩経』や『書経』などの経書を読み、礼をとり守ることであった。必ずしも読み書きだけを学問とは捉えていなかったのだ。それゆえ当時の学者はそれぞれ能力の差はあったものの、それぞれの本分を発揮できたのだ。このように人は誰でも学ぶことができ、能力のある者とそうでない者といった差はないのである。ところが後世(もちろん現代も)はこの学問は堕して芸事のようになってしまった。なんにでも詳しく、一度読めばすべて覚えてしまうのは芸である。詩の才があり、数え切れないほどの文字をあっという間に書き写すなどというもの芸である。このように芸と堕したことによって能力のある者とそうでない者が生まれてしまい、学問が実践とかけ離れてしまったのだ。人の言葉に「ある人は学はあるが実践に疎く、ある人は行動力は十分だが学に欠ける」とある。しかし孔子の学問を学んだのであれば、どこにいったい学問は十分だが実践が不足しているなどという者があろうか?この言葉は大きな間違いだと言わざるを得ない

【ビジネス的解釈】
どれだけインプットをしても、実践し行動に移さなければまったく意味がない。ビジネスはアートではない。最終的に顧客のお役に立てなければ、ビジネスとしての価値はない。


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