今日の神坂課長は、佐藤部長と共にN鉄道病院の長谷川名誉院長を訪ねたようです。

「長谷川先生、新年、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします」

「佐藤さん、神坂君、今年もよろしくお願いしますね。私もそろそろこの職も辞す頃合かなと思っているんだけどね。ここの院長からはもう少し残ってくれと頼まれてね」

「長谷川先生には生涯現役でお願いしたいです」

「ははは、生涯現役か。もちろん医療の世界は大好きだから、そうしたい気持ちもあるんだ。ただ、一方で少しゆっくり古典を読み返してみたいなとも思っていてね」

「古典ですか?」

「そう。私の趣味は中国古典を学ぶことだからね。『論語』なんて、じっくりと取り組んでみたいよね」

「たしか安岡正篤先生も晩年になって、自分がどれだけ『論語』を読めていなかったかを痛感した、と言っていたそうですね」

「佐藤さん、そうなんだよね。あれだけ『論語』を読み込んできた人が言うんだから、私なんかはまだまだ『論語』の「ろ」の字もわかっていないよ」

「長谷川先生がですか?」

「そうだよ。ただ、古典をじっくりと繰り返し読んでいるとね、いつの間にか、古の賢人たちと意見をぶつけ合っているような感覚になるんだ。まるで、孔子が目の前にいて、自分の横には子路や子貢がいるような感じにね

「そんな感覚にはなったことがないです。佐藤部長はありますか?」

「実は、『言志四録』を読んでいるときには、一斎先生と意見交換をしているような気持ちになることがあるね」

「マジですか! やっぱり二人は別世界の人ですよ」

「そんなことはないよ。まだまだ神坂君の読み込みが浅いだけだよ。繰り返し繰り返し読み込
んだら、きっとそういう感覚になるはずだよ」

「そうですか? 私は今は次から次へと新しい本を読んでいるので、同じ本を繰り返し読むということはしていません。そういうことも必要なんですね」

人生の愛読書を見つけるといいよ。そういう本は、人生の窮地に陥ったときにきっと助けてくれるからね」


ひとりごと
 
小生も『論語』の読書会を5年間続けてきましたが、まだまだ一斎先生が言うような境地になったことはありません。

ただ、最初の頃に比べて、孔子がなぜこの言葉を発したのかという真意のようなものを推測することができるようになりました。

愛読書を繰り返し読むということも、人生において大切なことなのかも知れません。


【原文
余、常に宋・明の人の語録を読むに、肯んず可きあり、肯んず可からざるあり、信ず可きに似て信ず可からざるあり、疑う可きに似て疑う可からざるあり。反復してこれを読むに、殆ど諸賢と同堂して親しく相討論するが如し。真にこれ尚友にして益あり。〔『言志後録』第49章〕

【意訳】
私は常に宋や明の時代の人の語録を読むが、その中には肯ける所もあるし、肯けない所もある。また、信用できそうで信用できない所もある。疑わしいようで疑うことのできない所もある。このように繰り返し読み込むと、これらの賢人達と同じ場所で親しく討論しているかのように感じられる。これは正に古の賢人を共に学ぶ友とするようなものであって非常に有益である

【ビジネス的解釈】
古典のような長く読み継がれてきた書物を繰り返し読むと、その著者を自分の友とすることができる。読書はこのレベルを目指すべきだ。


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