「神坂課長! やってしまいました!」

石崎君が血相を変えて居室に飛び込んできました。

「なんだ、少年。落ちつき給え」

「落ちついてなんかいられないですよ! 長原先生を怒らせてしまいました!」

「マジか!! お前、あの先生だけは怒らせるなと言っただろう。あの人が怒りだしたら、そこらへんのチンピラより質が悪いんだぜ。一体、何をしでかしたんだよ?」

「はい。デモの日程を間違えていました。先生は今日のつもりで、患者さんに麻酔をかけた状態で、私に電話してきたんです。『おい、いつになったら内視鏡を持ってくるんだ!』って」

「で、お前は今日だと思っていないから、当然準備もしていないわけか?」

「はい。慌ててクリニックに行ったんですけど、もう大変でした。胸ぐらをつかまれて、ここでは言えないくらいの暴言を吐かれました」

「デモの予定は今日で間違いなかったのか?」

「それがですね。わたしの手帳では2月19日になっているんです。でも、長原先生は1月19日だと言われます。言った言わないの世界になってしまったので、私のミスだと思うしかありません」

「そうだな。今日のところは患者さんには帰ってもらったんだろう。まずは、長原院長にしっかりお詫びを入れて、その後で患者さんのところにも謝罪に行かないといけないな」

「ご同行お願いできますか?」

「こういう時のために上司は存在するんだ、当たり前だろう。とにかくこういう緊急事態のときは、なるべく心を冷静に保って、『敬の心で対応するしかない

「『敬の心』ですか?」

「とにかく謙虚に慎み深く対応するんだ。『いいえ』とか『違います』とか、相手を否定するような言葉は厳禁だぞ」

「はい」

「石崎、こういう緊急事態になるのは、無事のときに『誠の心』で仕事をしていないからじゃないか?」

「『誠の心』で?」

「そう。まず自分自身に正直に仕事する。自分に嘘をつくような奴は他人にも嘘をつくからな。誰もみていないときにこそ、正しいことをやるという意識が大切なんだ」

「はぁ」

「まあ、今は説教をするときじゃないな。さて、そろそろ俺のところに電話が掛かってくる頃だ。出発の準備をしておけよ」

「神坂課長〜! 長原クリニックの院長先生からお電話です!」

「ほら来た!」


ひとりごと
 
「未発の中」と「已発の和(か)」という言葉は、ともに『中庸』という古典にある言葉です。

未発の中:感情が発動する前の落ちついた状態

已発の和:感情が発動した後、それが度を過ぎていない状態

とでも理解すればよいのでしょうか?

やはり大事なのは、感情が発動する前です。

しっかりと心をコントロールして、安易に喜怒哀楽を発動させないことですね。


原文】
天に先だちて天違(たが)わざるは、廓然として太公なり。未発の中なり、誠なり。天に後れて天の時を奉ずるは、物来りて順応するなり、已発の和なり、敬なり。凡そ事無きの時は、当に先天の本体を存すべく、事有るの時は、当に後天の工夫を著(つ)くべし。先天・後天、其の理を要(もと)むれば、則ち二に非ず。学者宜しく思を致すべき所なり。〔『言志後録』第59章〕

【意訳】
天理に先んじて行動してしかも天理に違わないのは、心が晴れ晴れとして公平であるということである。それは『中庸』にある「未発の中」であり、誠である。天理に則り、天理に準じて行動するのは、すべての物と順応して行くことであり、それは『中庸』にある「已発の和」であり、敬である。無事の時は、天の本質である誠を以て事に当り、有事には敬をもって対処すべきである。その理は同じであり、誠と敬は二つに分けられるものではないからである。学問をする者はここに思いを致さなければならない

【ビジネス的解釈】
無事のとき(大きな問題が発生していない時)は、常に誠の心を大切にせよ。有事の際は、特に敬の心を大切にして、謙虚に慎みをもって対応すると良い。


2010032812014710