今日の神坂課長は、N鉄道病院名誉院長の長谷川先生の自宅を訪れたようです。

「最近、『老子』を読んでいるんだって?」

「え、長谷川先生、情報が早いですね」

「昨日、会合で多田君に会ってね。彼がそう言っていたよ。多田君が君のことを褒めていたよ」

「本当ですか? 多田先生はなかなか直接褒めてくれることはないので、とても嬉しいです」

「読書は良いよね。心が磨かれるもの」

「はい」

「ところで、神坂君。人間の心は本来、善か悪か、どちらだと思う?」

「私は善であって欲しいと思います。相手の心の裏を読むなんていうのは、私はあまり好きじゃありません」

「ははは。でも、営業の仕事はそれでは駄目ではないの?」

「そうなんです。そこは仕事だと割り切っています。でも、本当にお客様に自分をさらけ出せば、殆どのお客様は心を開いてくれて、駆け引きなどしなくて済むようになります」

「さすがはトップセールスマンだ! 人間には道心と人心の2つがあると言われているのを知ってるかな?」

「いえ、知らないです」

「二宮尊徳がこう言っている。道心とは、天の道に通じる、美しい心。人心とは、人を傷つける心、欲望、自らを粗末にする心。人間はこの2つの心を併せ持っているんだ。生まれたての赤ん坊には道心しかない。しかし、生長していく中で、次第に欲を覚え、人心が育まれてしまうんだろうね」

「そう思います」

「そう考えると、人心というのは生活習慣病みたいなものだよね。生活習慣病は、発症してから手を打つのでは遅い。予防することが大切だよね?」

「はい」

「人心も予防することで、大きくさせない努力が必要だと思う。それは、家庭において、親子の間の親愛の情を育み、兄弟の間の上下関係を正しく理解させることから始まると思うんだ」

「なるほど」

「そして学校に行くようになったら、友達との間の信頼の情を育む。そして会社に入ったら、上司と部下の正しい在り方を学ぶ。これは親子の親愛や兄弟の上下関係が身についていれば、それほど難しいことではないはずだよね」

「はい。弊社の新卒者の採用の際は、そこを重視しているようです」

「素晴らしいことだね! そして最後に結婚して、夫婦の間の役割の違いを学ぶんだ。これで人間が完成する。この5つの人間関係をしっかりと学んでいけば、人心など育つはずがないよね

「はい。長谷川先生、とても勉強になりました。小難しい理論をメンバーに押し付ける前に、何をすべきかがすこし見えた気がします。ありがとうございます!」


ひとりごと
 
儒学における基本的な考え方のひとつに五倫という教えがあります。

父子の親・君臣の義・長幼の序・夫婦の別・朋友の信。

この5つの人間関係をただすことが、人間としての根本を作るという考え方です

まずは家庭からです。

生活習慣病のように人心を太らせる前に、しっかり予防しておきましょう。


原文】
昔人謂う、「道の大端は、道心・人心に在りて、其の節目は父子・君臣・夫婦・長幼・朋友、五者の倫に在り」と。余謂(おも)えらく、道心は性なり、人心は情なり。精一にして中を執るは、情を性に約するなり。本体に工夫存せり。其の功を著くる処は、則ち五倫の交と為りて、親・義・別・序・信の教(おしえ)有り。即ち感応自然の条理にして、性を情に見るなり。工夫に本体存せり。後の道学を講ずる者、往往にして虚玄(きょげん)に馳せ、高妙に過ぎ、悠渺空曠(ゆうびょうくうこう)にして、性を言語(ごんご)の道断え、心行の路絶ゆるの際に覔(もと)む。豈果たして人倫ならんや。或いは功利と為り、或いは詞章と為るは、則ち人倫に於いて亦滋(ますます)遠し。〔『言志後録』第81章〕

【意訳】
昔の人は言っている、「道徳の元は道心(良知)と人心(私心)にある。その要点は父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五つの人倫にある」と。私が思うには、道心は人間の本性、人心は人情、心を一つにして中庸を守れば本性に従って情を制約できる。まず本体(性)を明かにすることに工夫しなければならない。工夫すべきは五倫の交わりである。すなわち父子には親、君臣には義、夫婦には別、長幼には序、朋友には信がそれである。そこにおいては自然の条理がその交わりの中に発現して感応し、人情のはたらきの中に性が現われる。正に五倫の交わりという具体的な工夫の場において、本体(性)の存在が明かにされる。後世の学者たちは、ややもすると空虚で底なしの思想に走り、優美に過ぎて道理や実際から離れ、本性たる言語では何も言えず、思慮分別もなく、心にも考えられない、身に行うこともできない遠い所のものを求めている。これが果して人倫であろうか。一方で、自己の名誉や利益の為や、文字文章で表現することを旨とするようでは、人倫の道からますます遠のいてしまう

【ビジネス的解釈】
人間が本来持っている道徳心を発揮させるには、五倫の交わりから学ばせるのが最もよく、自然の摂理に適っている。小難しい理論を学んで、自分の利のことばかり考えるようになれば、人間力が磨かれることはない。


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