神坂課長は、N鉄道病院名誉院長の長谷川先生のご自宅に居るようです。(昨日の続き)

「はい、お待たせしました。私がそば粉から手打ちした特製のお蕎麦ですよ。どうぞ召し上がれ」

「うわぁ、美味しそうですね。先生が手打ちしたのですか、凄いなぁ」

「そば打ちも私の大切な趣味でね。心が迷ったときにそばを打つと冷静になれるんだよ」

「ということは、最近何か心に迷いが生じたということでしょうか?」

「ははは。バレたか、その通り。でも、そばを打って解決したよ」

「そうやって、心を落ち着かせる手段をお持ちになっているのはさすがです」

「さっき話をした人心というものは、なるべく大きく育てないに越したことはないけど、無くすことは難しいよね」

「はい、私には無理です」

「ははは。人間は本来、道心を持っているわけだから、常にそれを発動すればいい。でも、どうしても人心が発動してしまうことがある。とくに欲というものをゼロにすることは不可能に近いよね」

「ええ、無欲にはなれません」

「うん。だからこそ、生活習慣病を予防するような心構えで、人心を予防するべきなんだけど、それでも感情が発動してしまったときは、その瞬間に冷静なもうひとりの自分の声に耳を傾けるんだ」

「もうひとりの自分ですか?」

「そう、感情を発動してしまった自分を人心様と呼ぶなら、もうひとりの冷静な自分は道心様とでも言おうかね」

「ああ、なるほど。私の場合は、カッとなるとすぐに『ばかやろう』って叫んでしまうのですが、その叫んだ瞬間に道心様を発動するように意識すると良いのですね」

「そんな感じかな。もちろん本当は、『ばかやろう』なんて言葉を発しない方が良いんだよ」

「はい、重々承知しております・・・」

「ははは。さあ、冷めないうちに食べてよ」

「はい、いただきます。うわぁ、これは美味しいです。出汁も絶妙です。やはり長谷川先生は何をやっても凄い人ですね。おそばに居れて光栄です」


ひとりごと
 
『中庸』という儒学の古典に、『未発の中(みはつのちゅう)と已発の和(きはつのか)』という考え方があります。

心がまだ動かぬ状態を「未発」といい、この状態のときは、心は静で、中正を得た、本来的な「性」の状態にあります。

心が外物と接することによって心が動いて、情が現れるのが「已発」の状態です。

未発の状態こそ心の本体です。

ひとたび心が動いて情が発動しても過不及なき「和」の状態になるとは限りません。気質の阻害によってしかるべき節度にぴたりと中(あた)らぬ危険性があります。

そこで朱熹(朱子)は、未発の涵養(かんよう)(心を静的場において保持する工夫)と已発の省察(心が事物と応対する場においてその理非曲直を観察する工夫)とを一本化し、居敬の工夫を主張し、いついかなるときにあっても心の主体性を保持する方法としたのです。(『日本大百科全書』より)

つねに「未発の中」を保持することを意識しつつも、どうしても感情が発動してしまった場合には、それが節度に中(あた)るように工夫をすることが重要だということです。

感情が発動したその瞬間にどう対応するかが大事だということでしょうね。


原文】
性の動くを情と為す。畢竟断滅す可からず。唯だ発して節に中(あた)れば、則ち性の作用を為すのみ。然るに自性(じしょう)を錮閉(こへい)する者を習気と為す。而して情の発するや、毎(つね)に習気を夾(はさ)みて黏着(ねんちゃく)する所有り。是れ錮閉なり。故に習気は除かざる可からず。工夫機筈(きかつ)は、一念発動の上に在り。就即(すなわ)ち自性を反観し、未発の時の景象を覔(もと)め、以て挽回すれば、則ち情の感ずる所、純(もっぱ)ら性を以て動き、節に中らざる無きなり。然れども工夫甚だ難く、習気に圧倒せられざる者少なし。故に常常之を未だ感ぜざるの時に戒慎し、猶失う所有れば、則ち又必ず之を纔(わず)かに感ずるの際に挽回す。工夫は此の外に無きのみ。〔『言志後録』第82章〕

【意訳】
本性が発動したものが情であるから、この性と情を断ち切ることはできない。発動した情が中庸を得ていれば、本性が正しく発動しているといえる。ところが自己本来の性が閉じこめられ、情慾がそのままに流されてしまうのが習気である。したがって情が発すると必ず習気がまとわりつき、性に基づく正しい情のはたらきが阻害されてしまう。これが錮閉(こへい)である。それゆえ習気は除去しなければならない。その工夫の要点は、一念が発動されるところにある。すなわち自己本来の性をよく振り返り、観察した上で、まだ情が発動する前の心の在り様を求めて、そこに立ち返れば、情が動き出すときに、性に基いて動き、中庸を得ることができるのだ。しかしながら、この工夫は大変に難しいため、習気(煩悩などによる後天的な気性)に圧倒されない者は少ない。そこで常に情が発動する前に自らを戒め慎み、それでもなお中庸を失いそうになったときは、情が動き出した瞬間にすぐに未発の時の在り様に立ち返るのだ。工夫といってもこれ以外の方法はないのだ。

【ビジネス的解釈】
人心の本となる人間の感情を完全に無くすことはできないし、無くす必要もない。ただ、発した感情が節度を超えなければよいのだ。そのためには常に鍛錬をして、感情が発動する前の人間の本性を理解しておかねばならない。しかし、これは大変難しく、人間はどうしても感情に負けてしまう傾向がある。そこで、もし感情を発してしまったときは、その瞬間に冷静さを取り戻せるように鍛錬するしかない。


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