今日の神坂課長は、休日を利用して、著名な東洋哲学研究家の講演を聞きにきたようです。
「学問という言葉の出典は、『易経』です。そこには、『学もってこれを聚(あつ)め、問もってこれをわかち』とあります」
神坂課長は、真剣にメモを取っています。
「儒学の古典、『中庸』には、博くこれを学び、審らかにこれを問い、慎んでこれを思い、明らかにこれを弁じ、篤くこれを行う、とあります。学問には、この博学、審問、慎思、明弁、篤行の5つがセットになっていなければなりません」
「なるほど」
「たくさんのことを学び、詳細な点まで深く問い、深く考え抜き、物事の道理をつかみ、そして誠実に実践する。これができて初めて学問と言えるのです」
「つまり学問とは、学び、そして問うことです」
「問うことはできていないなぁ」
神坂課長のひとりごとです。
「ところが、最近は学生さんだけでなく、ビジネスマンの皆さんまでもが知識を詰め込むことが学問だと思っています」
「うわぁ、耳が痛い」
「先ほどの5つの項目の中でも、大切なのは後半の3つです。学んで得た知識を自分自身の心に深く問いかけ慎思・明弁することが大切です。そのうえで、自分の仕事に活かすように実践するのです」
「特に儒学は実践の学問です。せっかく東洋古典を学ぶのであれば、ご自身の仕事や生活に活かしてください。その時、最も大切な基準となるのが皆さん自身の心なのです」
帰りの電車の中で、神坂課長はひとりで考え事をしているようです。
「たしかに最近の俺は、インプットが中心になり過ぎていたかも知れないな。せっかく学んだことを、もっと深く自分の心と対話して熟成させる必要がありそうだ」
最寄り駅のホームに電車が停車しました。
「よし、今週は自分の心と対話する一週間にしょう。その目的はあくまでも実践にありだな」
ひとりごと
『中庸』にある博学・審問・慎思・明弁・篤行の5つの項目は、朱熹が『白鹿洞書院掲示』(宋代に朱子らが講義を行った学校に掲示されていたもの)で取り上げ、本邦では中江藤樹先生が『藤樹規』(同じく藤樹先生が藤樹書院に掲げたもの)に取り入れて掲げています。
まさに学問の要諦を言い尽くした言葉と言えるでしょう。
学問とは、学び、問い、誠実に実践するものでなければ意味がないのだ、とこの言葉は教えてくれます。
【原文】
学は諸を古訓に稽(かんが)え、問は諸を師友に質すことは、人皆之を知る。学は必ず諸を躬に学び、問は必ず諸を心に問うことは、其れ幾人有るか。〔『言志後録』第84章〕
【訳文】
学は古の教えを今に照らして考え、問いは師や朋友に質すということなら、人は皆理解している。ところが学とは必ず自ら実践することであり、問いは必ず自らの心に問いかけるということについては、果たして幾人の人が理解しているのだろうか。
【所感】