今日の神坂課長は、佐藤部長の代理として営業1課の廣田さんと同行しているようです。

「おととい内視鏡のデモで症例立会いをしたのですが、そのときの患者さんが昨日亡くなったそうです。すでに大腸がんの末期ではあったそうですが、まだお若い方だったのですごく悲しいですね」

「若いって、いくつくらい?」

「たぶん50歳になるかならないかだと思います」

「それは若いなぁ。でも不思議だと思わないか。どこかで誰かの命が消える瞬間に、別のどこかでは新しい生命が誕生しているんだよな。東洋の哲学的な考え方だと、この世の中にあるものは一増一減だということらしい」

「質量不変の法則みたいですね」

「なんだそれ? 俺は文系だからよくわからん!」

「え、文系とか理系の問題ではないような・・・」

「人間ひとりの人生がプラスマイナスゼロになるかどうかはわからないけど、家族や先祖までたどると意外とプラマイゼロなのかもな?」

「どういうことですか?」

「たとえばさ、今お前は営業という仕事で苦しんでいるよな。その苦労がお前の人生の後半に糧となれば良いことだけど、もしかしたらお前にはその見返りはないかも知れない」

「はい・・・」

「だけど、お前の子供が将来凄い営業人になるかもしれない。そこには、お前の苦労が活きているということになるんじゃないか?」

「なんだか、難しい話ですね。そんな難しい話をする人が、質量不変の法則を知らないというのが面白いなぁ」

「悪かったな。俺の知識は思い切り偏ってるからな! そんなことより、これから行くK厚生病院さんは、コストカッターのNRT社が入っているんだよな。それこそ消耗品は一増一減のルールがあるからな。あまり突っぱねると他社を使うからいいと切られてしまう。本当に頭が
痛いな」

「はい。ディーラーとしての利益はもう限界に来ている商品も多数あります。この苦労も質量不変で、どこかで喜びとなって帰ってきて欲しいです」

「本当だな。それが俺たちが定年した後の社員さんに還元されるとなると、ちょっと寂しいな」


ひとりごと

『易』の有名な言葉に、

「積善の家には必ず余慶有り。積不善の家には必ず余殃有り」とあります。

善いことをすれば、その人の家には後に良いことが起こり、不善を行えば、その人の家には必ず不吉なことが起る、という意味です。

長い目でみれば、すべては一増一減だと心得て、善を為し続けましょう。


【原文】
古往今来、生生息(や)まず。精気は物を為すも、天地未だ嘗て一物をも増さず。游魂は変を為すも、天地未だ嘗て一気をも減ぜず。〔『言志後録』第99章〕

【訳文】
太古から現在に至るまで、生々として休むことなく、陰陽は相和合して万物を生み続けているが、いまだ嘗て何一つとして物を増やしてはいない。精気は衰えてやがて万物はその命を失うが、いまだ嘗て一つとして気を減らしてはいない

【所感】
なにごとにおいても陰陽のバランスが崩れることはない。何かが増えれば何かが減るのが自然の摂理である。


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