営業1課の新美課長が、自宅療養中の佐藤部長のお見舞いに来たようです。

「部長、お元気そうで安心しました」

「うん、本当は今すぐにでも出社したいんだけどね。医者から止められているので、仕方なくゆっくりしているよ」

「そうですか。4月には万全の状態で戻ってきてくださいね」

「ありがとう。ところで、神坂君はうまくやってくれているかい?」

「あの人は変わりましたね。生意気な言い方ですが、自分を上手にコントロールできるようになった気がします」

「たとえば、どんなときにそれを感じるの?」

「トラブルが起きたときに、以前の神坂さんだったら、すぐに自分で結論を出して「ああしろ、こうしろ」って指示をしていたと思います」

「たしかにそうだね」

「ところが最近は、まずメンバーや私たちマネジャーにどうしたいかを聞いてくれるんです」

「意見を押し付けなくなったということか」

「はい。先日、ちょっとしたクレームがあったのですが、そのときは雑賀君の意見を全面的に受け入れていました」

「なるほどね。しかし決して迎合しているわけではないんだよね?」

「はい。自分の軸は絶対に曲げない人ですから。みんなの意見がまとまらなかったときに、最後にバシッと結論を出すあたりは流石だなと感心してしまいます」

「そこは彼の得意とするところだもんね」

私の場合、必要以上に周囲の人に気を遣ってしまって、自分の意見を主張できないことがあるのでとても勉強になります」

「一斎先生は、『和』と『介』のバランスを保つようにと教えているんだよ」

『和』と『介』ですか?」

「そう。心を穏やかにして周囲の人たちと上手に折り合っていくのが『和』。その一方で、自分を見失うことなく、必要な場面では自分を主張することが『介』。この2つはどちらか一方だけではダメだろうね」

「なるほど。私の場合は『介』を強く意識しないといけない気がします。なかなか難しいことですが・・・」

「神坂君の場合は、新美君とは逆で『和』を意識したのだと思うよ。神坂君にできたんだから、新美君もできるよ」

「はい。神坂さんの背中を追いかけます!」


ひとりごと

皆さんは、「和」と「介」のバランスが取れていますか?

どちらかに偏っているとすれば、どちらでしょうか?

小生の場合は、明確に「和」が課題です。

聖徳太子も孔子も大切にした「和の精神」を学び、物腰や伝え方にひと手間加えることを意識していきます。


【原文】
寛懐(かんかい)にして俗情に忤(さから)わざるは和なり。立脚して俗情に堕ちざるは介なり。〔『言志後録』第111章〕

【意訳】
心広くゆったりとしていて世の中の流れに逆らうことがないのが「和」である。自己の主張を明確にしていながら世の中の流れに飲み込まれないのが「介」である

【ビジネス的解釈】
周囲の環境に適応しつつ、自分を見失うことなく、しっかりと自己主張できる人材であれ。


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