今日の神坂課長は、人塾という読書会に参加し、その後の懇親会に参加しているようです。

「ゴッド、今日の幸之助さんについてのアウトプットはイッツ・グーだったねぇ。さすがだよ」
隣に座った松本さんです。(松本さんについては、第1213日の項をご覧ください。)

「フミさん、ありがとうございます。でも実際、松下幸之助さんって凄い人ですよね。小学校中退から日本一の資産家になり、経営の神様と呼ばれるようになったんですから」

「ゴッドも、後輩から『神様』って呼ばれているじゃない」

「あいつらは尊敬ではなく、馬鹿にしてそう呼んでいるだけですから!」

「オー・ノー。幸之助さんの場合は、たしかに読書もたくさんされているんだろうけど、それ以上に実際の仕事を通して多くのことを学ばれているんだろうな」

「フミさんもそうじゃないですか?」

「僕の場合は、読書は本当に人生の後半だけ。でもたしかに、実際の仕事というものも、捉え方ひとつで『活字ではない本を読んでいることになるのかもね

「かっこいいですね!」

「サンキュー。私は、この読書会に出逢ってから本を読むようになったんだ。読んだ後、みんなでディスカッションするのが楽しくて、それを励みに本を読めるようになった」

「なるほど」

「本を読んでいると、いつの間にか自分の心と会話していることに気づかされるときがある。結局、読書というのは何か新しい知識を得ることよりも、自分の心の中にあるものを確かめるためにあるのかも知れないね?」

「それは、フミさんがたくさん経験を積んできたからでしょうね。私なんかはまだまだ知識を入れるのが目的になっている気がします」

「ゴッドより30年長く生きてきたからね。結局、読書と実践。この2つからバランスよく学ぶことが大事だということだよね

「仕事が『活字ではない本』だという発想は新鮮でした。さすがはフミさんだ!」

「ゴッドはおだてるのが上手だよ。気持ちいいからもう一杯アゲイン!」

「ところで、フミさん。その『ゴッド』っていうの、やめてもらえないですか!」


ひとりごと

二宮尊徳の『二宮翁夜話』の冒頭に、

それわが教えは書籍を尊まず、ゆえに天地をもって経文とす。

という言葉があります。

もちろん、読書をすることは大切なことです。

しかし、それだけでなく、実際の仕事を通して『天地の経文』『活字でない本』から学ぶことも忘れてはいけません。


【原文】
仁義礼智、種種の名色は、皆是れ本心呈露の標目にて、総称有り、子孫有り。処に随いて指点し、究(つい)に一己の心体を状(かたち)するに過ぎず。即ち是れ我が見在の活物なり。今此の言を做すも、亦此れ是(こ)の物なり。故に書を読む時は、当に認めて我が物を講ずと做すべし。事に臨む時に至りては、卻って当に認めて活書を読むと做すべし。是(かく)の如く互いに看れば、学に於いて益有り。〔『言志後録』第137章〕

【意訳】
仁・義・礼・智という名称は、総てみな人間の本来の心が外に現われたもので、その中には全体を称したもの、一局面に限られた呼称がある。場合に応じて名づけられ、結局は自分の心の真の在り様を言い表わしたものに過ぎない。これらのものは現在この心が活動している姿である。今このように述べているのも、この心のはたらきによるのである。それ故に、読書の時には、自分の心の中にある物を講じてもらっていると考えるべきである。また、何か事をする場合には、活きた書物を読んでいると考えるべきである。そのように互いの立場から見れば、学問をするに当たって得る所大である

【所感】
何かを求めて読書をする際は、その答えは己の心の中にあると理解して読むべきであるし、何か行動を起こす際は、あたかも活字になっていない天の書物を読むつもりで、臨むべきである。


school_terakoya_boys