今日の神坂課長は、佐藤部長と帰宅中のようです。

「昨日、本屋に行って、いつものように適当に本を物色していたのですが、『書経』の入門篇みたいな本が文庫で出ているのを見つけて、思わず叫び声をあげてしまいました」

「へぇ、『書経』が文庫でねぇ。それは凄いことだね。しかし、『書経』を見つけて叫んでいる神坂君は相当変人だね」

「そうなんですよ。その後、何人かが私がどの本をみて叫び声をあげたのか確認に来ていましたからね。でも、どれだか分らなかったと思います」

「ははは。間違いないでしょう」

「『書経』といえば、帝王学の書で、歴代の天皇陛下も必ず勉強されていると聞いています」

「古(いにしえ)の賢人たちが徳で国や人を治めた事蹟が書かれているからね。我々も徳治を理想としたいよね」

「はい。徳だけで人を治められるとは思いませんが、やはり自分を磨いて古の賢人に近づきたいとは思います」

「うん。『読書尚友』という言葉があってね」

「どういう意味ですか?」

読書を通じて古の賢人と友達になるようなつもりで本を読む、という意味だよ。そのくらい真剣に書に取り組むべきだと孟子が言っているんだ」

「なるほど」

「だから一斎先生も、心を落ち着け、浮ついたり、乱雑であったり、驕った気持ちで読書をしてはいけない、と言っている」

「そうですか、私は風呂上りに素っ裸で本を読んだり、寝る前に寝転んで読んだりしていますが、それもよろしくなさそうですね」

「うん、そうかも知れないよ。堯や舜を友とするというのに、そういう態度では難しいだろうね」

「はい。反省します。でも、私はそもそも堯や舜、もしくは孔子や一斎先生と友達になれると思いません。なんとか弟子の一人に加えていただきたいという心境です」

「素晴らしい! 控えめでいいね。私もまったくそう思うなぁ」


ひとりごと

「読書尚友」という言葉は、吉田松陰の『士気七則』にも採用されるほど、かつては人口に膾炙した言葉だったようです

読書を通して、偉大なる偉人・賢人と親しくなるくらい真剣に本を読むということでしょう。

最近の読書は、自分の知識習得のためにされるだけで、著者と心を通じ合うほどに書を読むということは皆無なのかも知れません。

小生も、孔子の友になれるとは思っていませんが、せめて孔子の弟子として認めてもらえるように、『論語』を読み込んでいく所存です。


【原文】
読書も亦心学なり。必ず寧静を以てして、躁心を以てする勿れ。必ず沈実を以てして、浮心を以てする勿れ。必ず精深を以てして、粗心を以てする勿れ。必ず荘厳を以てして、慢心を以てする勿れ。孟子は読書を以て尚友と為せり。故に経籍を読むは、即ち是れ厳師・父兄の訓(おしえ)を聴くなり。史子を読むも、亦即ち明君・賢相・英雄・英傑と相周旋するなり。其れ其の心を清明にして以て之と対越せざる可けんや。〔『言志後録』第144章〕

【意訳】
読書もまた心の学問である。必ず心をやすらかにして読むべきで、騒がしい心で読んではならない。必ず心を落ち着けてじっくりと読むべきであって、浮ついた心で読んではならない。また必ず精細に詳しく読むべきであって、粗雑な心で読んではならない。さらにおごそかに読むべきであって、驕り高ぶった心で読んではならない。孟子は読書は尚友(尊敬すべき友)であるとしている。したがって経書を読むということは、厳しい師匠や父兄の訓戒を聴くことであり、歴史書や哲学書を読むということは、名君、名宰相、英雄や豪傑と直接交際するようなものである。それゆえ心を清らかにして書と対峙しなければならないのだ

【ビジネス的解釈】
読書を通して、歴史上の偉人や賢人と友となれ、と孟子は言う。そのためには心を落ち着けて。


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