今日の神坂課長は、読書会で知り合った同年代の宮本さんと飲んでいるようです。
「神坂さん、私は私なりに仕事で力を尽くしているつもりなのですが、どうも社長のウケがよくないんです。自分の仕事が正当に評価されないのは悔しいですね」
「そうなんですか。でも、宮本さんは社長に評価されるために仕事をしているわけではないですよね?」
「えっ? まあ、たしかにそうですが、やはり評価されたいという思いは強いですよ」
「なるほど。実は私はあまりそういう意識がないんです。だって、評価って他人が下すものじゃないですか。それはある意味で自分ではどうしようもないことですよ」
「うーん」
「よく言うじゃないですか。『馬を無理やり水辺まで連れて行くことができても、水を飲ませることはできない』って」
「ああ、聞いたことはありますねぇ・・・」
「褒めてもらえないからといって、腐ってしまったら、ますます評価は下がりますよ。褒めてくれないなら、逆に宮本さんが社長さんをどんどん褒めたら良いじゃないですか!」
「『求めるならまず与えよ』ですか。神坂さんは超ポジティブですね」
「いや、ポジティブなのではなく、ただノー天気なだけですけどね。(笑)」
「たしかに、自分がやっていることは会社にとって役に立っていると思います。評価の有無でその価値が決まるわけではないですもんね!」
「そうそう、そのとおり!」
「神坂さんと飲むと元気になれるなぁ」
「よく言われます。(笑) でも、手を抜かずにやり続ければ、きっといつかは報われますよ。なんていったって、これからは人生100年時代ですよ。俺たちはまだやっと折り返し地点にたどり着いたんです」
「自分のできることに精一杯取り組むしかないですね。その後は天命に任せなさいということかなぁ」
「そうです! そしてお天道様は決して我々に冷たい仕打ちはしないはずですよ!!」
「ありがとう! 元気が出てきた」
ひとりごと
アドラー心理学では、自分が関知できない事柄を「他人の課題」と呼び、自分の課題と他人の課題は分離して考える必要があるとしています。
他人の評価はまさに他人の課題です。
自分にできることは、自分の信じる道を歩き続けることだけです。
人事を尽して天命を待ちましょう!
【原文】
生生にして病無きは、物の性なり。其の病を受くる必ず療すべきの薬有り。即ち生生の道なり。然も生物また変有り。偶(たまたま)薬す可からざるの病有り。医の罪に非ず。譬えば猶お百穀の生生せざる無きも、而も時に稗(ひえ)有りて食う可からざるがごとし。農の罪に非ず。〔『言志後録』第158章〕
【訳文】
生き生きとして病気に罹らないということが物の本来の性質である。病気になったときは必ずそれを治療する薬がある。これが生々の道である。たまに薬では治療できない病に罹ることがあるが、これは医者の責任ではない。例えて言えば、様々な穀物で生き生きと生育しない物はないが、それでも時々稗のように食べることができないものがあるようなもので、これは農家の責任ではない。
【所感】
ほとんどの病は治療可能であるが、時には不治の病もあるように、世の中には自分の力で解決できることとできないことがある。解決できることに力を尽くし、あとは天命を待つしかない。