新美課長が、高校時代の恩師のもとを訪ねたようです。

「今井先生、人の上に立つようになって、あらためて先生からいただいた言葉の数々が思い起こされるようになりました。それでどうしてもお会いしたくなって、思わず電話をしてしまいました」

「ははは。そう遠くに居るわけでもないし、気軽に来てくれればいいよ。私ももう引退して、日々安穏として暮らしているからね」

「ありがとうございます。今、あらためて師恩のありがたさに気づかされています」

「私が何を言ったかは覚えていないけど、それはすべて私のオリジナルではなく、弓道の世界に伝わる教えを継承しただけだよ」

「なるほど、伝統の継承ですか?」

「まさに、そのとおり!」

「最近の若い人には、師と呼べる存在がいないという人も多いようです。師はもつべきだと実感しています」

「しかし、それもご縁だからね。師は求めても必ず得られるものではないよ。もちろん求めなければ得られないだろうけどね」

「はい。私は今井先生にお会いできて幸せでした」

「ただ、必ずしも師匠をもたなくても、親、教師、仕事上の上司や先輩・同僚、飲み仲間や勉強仲間からも多くのことを学べるはずだよ。ある意味ではそれもまた師と呼べる存在じゃないかな?」

「おっしゃるとおりです。実は、最近は社内で上司や先輩から多くのことを学んでいます」

「良い会社に入ったんだね」

「はい。それは自信をもって断言できます」

「そして、新美君の部下や後輩たちは、新美君の言動や行動をみて、そこから学ぶわけだ」

「はい。そう考えると気持ちが引き締まります!」

「弓道は人生そのものだからね。真の技術を学び、善の心を育て、真と善の結晶としての美を表現していくものだ。人生においても、本物の知識や技術を磨き、それによって善の心までが磨かれ、それが一体となって美しい所作、行動が生れるんだね」

「はい。実は当社の社是はまさにその「真・善・美」の追求にあるのです」

「すばらしい! 御社の社長さんは弓をやっていたの?」

「あ、聞いたことはなかったです。確認してみます」

「新美君、人の師となろうなんて考えてはいけないよ。真と善を極めれば自然に美が表現される。正しいことを愚直にやるんだ。そうすればみんな君についてくるよ、必ずね」

「今井先生、ありがとうございます!」


ひとりごと

師に学ぶことを「師事」といいます。

一方、先人に傾倒して学ぶことを「私淑」といいます。

師事すべき師を持つとともに、私淑すべき先人を持つことができれば、人生により潤いがもたらされるのではないでしょうか?


【原文】
余嘗て曰く、「五倫に君臣有りて師弟無し。師弟無きに非ず。君臣は即ち師弟なり」と。今更に思う。「師は特(ただ)に君の尊有るのみならず、而も父の親有れば、即ち父道も亦師道と通ず。長兄は父に若(したが)えば、則ち兄にも亦師道有り。三人行けば必ず我が師有れば、則ち朋友も亦相師とす。夫教え婦(つま)従えば、則ち夫も亦師なる歟(か)。是れ則ち五倫の配合、適(ゆ)くとして師弟に非ざるは無し」と。〔『言志後録』第173章〕

【意訳】
私はかつてこう言った。「儒教の徳目である五倫には、君臣についての記載はあるが、師弟についての記載がない。これは師弟が重要でないということではない」。今は更に加えてこう思っている。「君臣の関係はそのまま師弟の関係と同様なのだ」と。師というものは君のもつ尊さだけでなく、父のもつ親しみも有しているので、父の道はそのまま師の道に通じている。兄は父に従うものであるから、兄との間にも師の道はあるのだ。『論語』に「三人行けば必ず我が師あり」というように、共に学ぶ友との間にも師の道があるのだ。また夫が教え妻がそれに従うなら、夫もまた師と言えるであろう。こう視てくると、五倫の組合せの中に師弟の関係を読み取ることができるので、師弟についての記載が無いのだ」と。

【ビジネス的解釈】
「我以外皆師」という言葉があるように、人はどんな人からも学ぶことができる。真摯に学ぶ姿勢を大切にすべきである。


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