今日の神坂課長は、A県立がんセンター消化器内科の多田先生のところにいるようです。

「神坂、サボらずに勉強は続けているのか?」

「おかげさまで、なんとか細々とは続けています。ただ、リーダーシップを学ぶのに『書経』が良いと言われて読んでいるのですが、あれは私には難しいです」

「難しいから面白いんだよ。簡単な本からは何も学べないだろう」

「なるほど、そうか。でも、もう少し解説が欲しいなと思うのですが、良い本がないんですよね」

「かつて、中江藤樹は白文の『大学大全』という本を100回読んで理解したんだ。白文というのは返り点すらない中国語の原文だ。それでも100回読み込んでモノにしたんだよ」

「同じ本を100回ですか! 私は1回で難しいと思ってしまいました」

「我々日本人は多くの知識を支那大陸から仕入れて学んできた。今も読み継がれている古典には、それだけの時代を生き抜くだけの理由があるはずだ。学んで無意味なはずはないよな」

「はい、そう信じて学び続けようとは思っています」

「これも中江藤樹の言葉だが、経書を読むときは、そこに書かれている枝葉末節にこだわる必要はない。『聖賢の心をわが心とせよと言っている」

「むずかしいなぁ」

「要するに、古典に出てくる偉人の言葉を学ぶより、どんな思いからその言葉を発したのかを考えることが重要だと言っているんだ」

「言葉より心ですか・・・」

「そうだ。だから、細かいところが理解できなくても気にせずにまず一回読み通せ。それでわからなければ、また最初から読むんだ。100回とは言わないが、聖賢の心をわが心とするつもりで10回も読めば、多くのことが学べるはずだ」

「多田先生、ありがとうございます。とにかく繰り返し読んでみます」

「最近、お前の表情はかなり引き締まって来た。それは読書をしている人間の顔だ。俺たち医者がパートナーにしたいのは、そういう顔をした営業マンだということを忘れるなよ!」


ひとりごと

我々日本人は、多くの知識を中国古典から学んできました。

特に歴史書には、国の繁栄と滅亡の物語がいくつも織り込まれています。

国に限らず、企業のサステナビリティを高めるためにも、歴史書を今一度読み返してみるのは良いことでしょう。

今年2月、ちくま学芸文庫から『資治通鑑』が発売されています。

これまで簡単に入手できなかった歴史書が文庫で手に入れられるのは幸せなことです。

ぜひ、読んでみましょう!


【原文】
余近ごろ児(じ)の為に唐書を課す。昔嘗て一過せしが、今は則ち大半忘れて、未見の書を読むが如し。偶(たまたま)一二を記して胸間に在る者は、宛(あたか)も故人に逢うが如く。太だ喜ぶ可し。劉書詳(つまびらか)なりと雖も而も瑣猥(さわい)なり。欧・宋の簡浄なるに如かず。笵鑑(はんかん)は宜しく温史の唐紀と併せ読むべし。可なり。我が邦(くに)古昔(こせき)の典章、蓋し諸(これ)を隋・唐に資する者少なからず。故に軌範此(ここ)に在り。鑑戒も亦此に在りて、熟読するを厭わず。〔『言志後録』第201章〕

【意訳】
私は最近子供達に『唐書』を読むように薦めている。私も昔読んだことがあるが、今はほとんど忘れてしまって、未読の書を読むようである。たまに記憶している箇所があると、まるで故人に逢ったような感覚で、とても喜ばしい。宋の劉昫(りゅうく)らが編撰した『旧唐書』は詳しいが、細事にこだわりすぎている。そういう点で宋の陽修と宋礽(そうき)の編撰した『新唐書』の簡潔なのには及ばない。同じく宋の笵祖禹(はんそう)が書いた『唐鑑(とうかん)』は、司馬温公が編撰した『資治通鑑』にある『唐紀』と併せ読むのがよい。我が国の昔の文物制度は、思うに隋や唐を範としたものが少なくない。そのため法律規範や道徳教訓もここにあると言えるので、熟読することを厭うことはない

【一日一斎物語的解釈】
日本の諸制度は、隋や唐といった支那大陸の過去の大国の制度を規範としているものが多い。安易に取捨選択をする前に、なぜそうした制度が生まれたのかを知るべく隋や唐の歴史を学ぶことは有意義である。


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