今日の神坂課長は、元同僚で、今は定年退職して『論語』の読書会などを開いている西郷さんの自宅を訪ねているようです。

「サイさん、元号が令和に決まって、その出典が『万葉集』だということで、いまちょっとしたブームになっているようですね。どこの書店にも『万葉集』のコーナーがありますよ」

「神坂君も何か一冊買ったの?」

「いや、実は詩というのは苦手でして、ほとんど読んだことがないんです」

「かつて孔子は息子の鯉に対して、詩を読めと勧めているんだよ。当時の詩というのは『詩経』のことなんだけどね」

「ああ、そういえば一斎先生の『言志四録』にも、誰だったかの詩は我々に警鐘を与えてくれるから心して読めと書いてあったな。えーと、誰だっけな?」

神坂課長は小さなノートを取り出しました。

「ああ、これだ。邵雍(しょうよう)という人の『伊川撃壌集(いせんげきじょうじゅう)』という詩集のようです」

「その詩集はかなり難しいよ。なにせ漢詩だからね。しっかり解説のある本を読まないと、さっぱりわからないんじゃないかな」

「やっぱりそうですよね。一応メモだけはしたのですが、ちょっと手を出しづらいです」

「私は坂村真民さんの詩が好きなんだ。真民さんの詩はとてもやさしくてシンプルだけど、心に響くものが多いよ」

「どんな詩があるのですか?」

「たとえば、『尊いのは足の裏である』という詩がある。人間の体で一番偉いのは、頭でも体でもなく、足の裏だ。毎日、一番汚い所と接しているのに文句一つ言わない。自分も足の裏のような生き方をしよう。そんな意味の詩だよ」

「うわぁ、なんか今の話を聞いただけで涙が出てきました」

「会社に置き換えてみるとね。偉いのはトップにいる社長や幹部の社員ではなく、日々現場で汗を流している社員さんたちだとも読めるよね」

「なるほど、スゴイ!! 帰りに早速、坂村真民さんの詩集を買ってみます」

「ぜひ、そうしてよ。私は、愛媛県にある坂村真民記念館に行きたいと思っているんだけど、まだ実現していない。神坂君が真民詩を勉強してくれたら、一緒に訪れたいな」


ひとりごと

ここに引用した坂村真民さんの『尊いのは足の裏である』の全文を掲載しておきます。


『尊いのは足の裏である

尊いのは
頭でなく
手でなく
足の裏である

一生人に知られず
一生きたない処と接し
黙々として
その努めを果たしてゆく
足の裏が教えるもの

しんみんよ
足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ

頭から
光が出る
まだまだだめ

額から
光が出る
まだまだいかん

足の裏から
光が出る
そのような方こそ
本当に偉い人である


小生も「詩」というものは苦手としてきたのですが、坂村真民さんの詩に出逢って印象が変わりました。
一斎先生が言うように、我々はもっと「詩」から学びを得る必要があるのかも知れません。


【原文】
撃壌の詩は、道学の香山なり。耐(よ)く人を警醒す。宜しく意を著(つ)けて読むべし。〔『言志後録』第204章〕

【意訳】
宋の邵雍(しょうよう)の詩集である『伊川撃壌集』にある詩は、香山居士と呼ばれた白居易の詩にも匹敵するものであり、我々に警鐘を与えてくれるものである。しっかりと心を込めて読まねばならない

【一日一斎物語的解釈】
詩には人を動かす力がある。過去の偉人達は詩を読み、それを仕事や生き方に活用している。現代のビジネスマンも詩を読むべきだ。

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