神坂課長は西郷さんと別れた後、その足で書店に向かったようです。

「そういえば一斎先生は、朱子の詩も良いと書いていたな。でも、サイさんが言っていたように、まずは漢詩よりも日本語の詩を読んでみよう」

神坂課長は詩・古典のコーナーにやってきました。

「あー、あった。坂村真民さん、たくさんあるな。サイさんが言ってた足の裏の詩が載っているやつにしよう」

「おお、この『本気』という詩もいいな。たしかに変わりたいのに変われないというのは、自分が本気になれていないからなんだろうな」

「『中年の人よ』という詩もいいな。つねに謙虚に。奢りは悪魔の誘いだと思え、か。これは俺にとっては強烈な戒めだなぁ」

「なんだこれは! 一寸先は闇じゃないのか? でもこの詩には『一寸先は闇ではなく光であることを知らねばならぬ』と書いてあるぞ!」

神坂課長は、いつの間にか真民詩に引き込まれてしまったようです。

「詩にこんなに学びがあるなんて、思ってもみなかった。でも、考えてみれば歌の歌詞に感動することもあるわけだから、詩から勇気をもらうということもあるんだろうな」

神坂課長は、新たな学びの世界を知って心を躍らせているようです。

「お、やばい、やばい。もうこんな時間だ。よし、この本にしよう」

結局、神坂課長は『自選 坂村真民詩集』という本を選んだようです。

「今日はじめて坂村真民さんを知ったのに、すでに俺は記念館に行ってみたくなったぞ。しっかり読み込んで、サイさんと一緒に愛媛に行ってみよう。学びの後は、道後温泉で瀬戸内の魚を食べながら一杯やるのもいいな!」


ひとりごと

昨日に続いて、朱子の詩ではなく、坂村真民さんの詩を御紹介します。

「一寸先は光」という言葉は、『鳥は飛ばねばならぬ』という詩の中に出てくるフレーズです。

一寸先は闇なのか、光なのか。

それは、自分の心次第だということでしょう。

そうであるなら、小生は死ぬまで一寸先は光だと信じて生きていくことにします!


【原文】
朱文公の詩は、実に性情の正を見る。之を誦するに韋・柳に似て、而も意味自ら別なり。〔『言志後録』第205章〕

【意訳】
朱子の詩は、実にその性情の正しさを感じる。その詩を暗唱すると、韋応物や柳宗元の詩によく似てはいるが、それでいてその趣は異なっているのだ

【一日一斎物語的解釈】
詩には作者の心が反映される。美しい心をもった人の詩を読むと、自らの心も洗われる。


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