(昨日からのつづき)

「『鑑草』は日本最初の女性のための教育書ですからね。どうですか、勉強になりました?」

「はい、それを読んで中江藤樹さんに興味をもったので、ここに来たのです」

「すぐに行動するところが素晴らしいですね。藤樹先生は、人間は『良知』という美しい心をもって生まれてくると言っています。ところが、生きているうちに私欲が芽生えて良知が曇らされてしまう。だから、私欲を取り去って良知に致ることが大切で、そのために学問をするのだ、と言っています」

「へぇ、良知ですか」

「つまり、外にあるものを取り入れることばかり考えるのではなく、本来自分の内にあるものを磨かなければいけない、ということでしょうね」

「そうかぁ、私はたくさん知識を吸収して、それを元に本を書いて人を感動させたいと思っていました。でも、それではいけないのかも知れませんね」

「お嬢さんの心の内にあるものを物語にしてみたら?」

「心の内にあるもの・・・」

「そう、まずはご自身の良知にたどり着くまで内観してみる。あ、また偉そうなことを言ってしまいました。ごめんなさいね」

「いえいえ、勉強になります」

「そうだ、良知に関して学ぶなら、藤樹先生の代表作『翁問答』を読むといいですよ。ほら、そこで販売しています」

「ああ、その本は今日買って帰ろうと思っていました!」

「じゃあ、これは私からのプレゼントということで」

「え、いや、結構です・・・」

「では、あなたの本が完成したら、一冊送ってください。この本と交換ということで!」

「あ、ありがとうございます!」

「お名前をお聞きしても良いですか?」

「はい、中野みどりと申します。これ、プライベートの名刺です」

「みどりさんね。ペンネームも本名で?」

「はい、その予定です。すみません、私にもお名前を教えてください」

「では私も名刺をお渡ししましょう。佐藤仁(ひとし)と申します。みどりさんの処女作を楽しみにお待ちしていますね!」


ひとりごと

一斎先生の言葉は、知識と智慧は別物だということを意味しているのでしょうか?

外部から情報を入手するだけでは、知識にしかなりません。それを自分の頭と心で熟成させることで智慧に変わるのでしょう。

わが心の良知に到べく、知識を智慧に変えるフィルターにこびりついた汚れをとり除くことに努めねばなりません。


【原文】
識量は知識と自ら別なり。知識は外に在り、識量は内に在り。〔『言志後録』第210章〕

【意訳】
識見及び度量と知識とはそもそも別のものである。知識は経験によって獲得するものだが、識量は本来内に備わっているものである

【一日一斎物語的解釈】
智慧と知識は別ものである。外から取り入れた知識を活かすには、智慧に変換しなければならない。


日本の古本屋サイト(水たま書店さん)より画像を拝借
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