今日の神坂課長は、佐藤部長と共に、N鉄道病院名誉院長の長谷川先生の御自宅を訪ねているようです。

「長谷川先生、週末はおひとりで過ごされることが多いのですか?」
神坂課長が尋ねたようです。

「男やもねだからねぇ。以前は息子夫婦が心配してよく来てくれたんだけどね」

「最近は来られないんですか?」

「うん。この年になると何かと気忙しくなるみたいでね。息子にいろいろと小言を言ってしまうんだ。それが嫌なんだろうね。最近は寄り付かなくなってしまったよ。盆と正月だけは孫の顔を見せに来てくれるけどね」

「長谷川先生が小言を言われるなんて、想像できないです」

「そう言ってもらえるとうれしいな。60歳を超えてからは、なるべく心に余裕をもって人に接することを意識してきたからね。ね、佐藤さん?」

「ははは。そうですね、以前の長谷川先生は部下の先生方にはとても厳しかったですからね」

「そうそう。今でもたまに私に相談に来てくれる先生方もいるんだけど、そういう先生方には、あまり細かいことは指摘せず、気持ちにゆとりをもって接しようと意識しているの」

「そうなんですか! そのお話は何度聞いても信じられないです。私には、長谷川先生は仏様の顔にしか見えませんから」

「神坂君、こんなところでそんなお世辞を言ったって、コーヒーのお替りくらいしか出せないよ。(笑)」

「お世辞だなんて! 心からそう思っています」

「ありがとう。年とともに心に締りをつけるのが難しくなるから、常にそのことを意識しておく必要があるようだよ。森信三先生は、こんなことを言っている。『人は退職後の生き方こそ、その人の真価だといってよい、退職後は在職中の三倍ないし五倍の緊張をもって晩年の人生と取り組まねばならぬ。』とね」

「そうなんですね。いまのままだと定年後は毎日家にいてゴロゴロしているだけになりそうです。先生をお手本にさせて頂いて、退職後に真価を発揮できるような生き方をします!」

「うん、そのためには今が大事だからね!!」


ひとりごと

心にゆとりがないと、自分のペースを相手に押し付けてしまいがちです。

人それぞれ、歩むペースは違います。

それを受け入れて、本当に大切なことだけを指摘するというスタンスでいないと、メンバーから距離を置かれてしまうことになります。

これは小生の実体験からの言葉ですから、なかなか説得力があるのではないでしょうか?


【原文】
人は老境に至れば、体漸く懶散(らんさん)にして、気太だ急促(きゅうそく)なり。往往人の厭う所と為る。余此を視て鑑(かん)と為し、齢六十を踰えて後、尤も功を着け、気の従容を失わざるを要す。然れども未だ能わざるなり。〔『言志後録』第217章〕

【意訳】
は老境に至ると、身体に緊張感がなくなって、気持ちは気忙しくなる。そのためときに人から嫌われることになってしまう。私はこれを鑑として、六十歳を越えた後はいよいよ修養を心がけ、気持ちをゆったりとするように意識しているが、いまだ十分とはいえない

【一日一斎物語的解釈】
年齢とともに、自分では気づかないうちに気忙しくなるものだ。他人から距離を置かれないためにも、心を磨き、常に心に余裕をもって人と接することを意識するとよい。


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