今日の神坂課長は、元同僚の西郷さんが開催している『論語』を読む会に参加しているようです。

今日は、『論語』子張第十九篇にある、『子夏曰わく、仕えて優なれば則ち學ぶ。學びて優なれば則ち仕う』について考えてみましょう」

「よろしくお願いします」

「意味は、テキストにあるように、『子夏が言った。仕えて余力があれば学ぶ。学んで余力ができれば仕えるのがよい』となります」

「サイさん、仕えるというのは、現代で言えば仕事に就くということで良いのですか?」

「神坂君、そうだね。ここは仕官するという意味だけど、まあ政治に限る必要はないでしょう」

「『学んで余力があれば仕事をするというのでは、私たちは生きていけないですよね。ここはどう読みますか?」
参加者の松本さんです。

「松本さんのおっしゃるとおりです。私はこの言葉をこう捉えています。今の時代は学校で時務学は教えますが、人間学は教えません。しかし、世の中に出てから本当に必要なのは人間学です。だから、人間学をしっかり学んでから社会に出るべきだ、と読み替えています」

「なるほど。しかし、学校ではようやく道徳が復活したくらいですから、なかなか難しいですね」

「そのとおりです。しかし、すでに社会人となってしまった我々にとっては、『仕えて余力があ
れば学ぶ』という方がより難しいでしょうね?

「サイさん、なぜですか?」

「社会人になると仕事に忙殺されて、学ぶことをやめてしまいがちじゃないかな?」

「たしかにそうですね。そして40歳を超えたくらいで、必要性に迫られて付け焼刃のような学びを始める。まさにそれが今の私です・・・」

「ははは。学び始めるのに遅すぎるということはないよ。でも、やはり早いに越したことはないよね」

「たしかに今の学校教育は、一番大切な学問が教えられていないのでしょうね?」

「そう思う。かつての日本は、寺子屋などでそうした学問を中心に学童教育を行っていた。だから、利他の心をもった思いやりのある人が育ったんだね」

「学校教育の改革を願ってばかりいても、何も変わりませんから、せめて会社の中でこうしたことを教えていくというのが、今我々に出来ることでしょうね?」

「神坂君、ぜひ実践してください!」


ひとりごと

働き方改革関連法案が次々と施行されていく中で、これからは時間が余り始めます。

その時間を学びに当てるのか、遊びに使うのか、その選択は各自に委ねられています。

つまり、働き方の目的が問われる時代がやってきたのです。


【原文】
「学んで優なれば則ち仕うる」は做し易し。「仕えて優なれば則ち学ぶ」は做し難し。〔『言志後録』第218章〕

【意訳】
学んで余力があれば仕官する、というのは実行し易いが、仕官して余力があれば学ぶ、というのは実行し難いことである

【一日一斎物語的解釈】
学校教育において、人間学を学ぶことができない現代においては、人間学を学ぶための時間を創るか創らないかは、各自に委ねられている。学ばねばならない。

                               
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