今日の神坂課長は部下の石崎君と同行しているようです。
「石崎、さっきお前、有田先生の前でムッとしただろう?」
「え、顔に出てました?」
「思いっきりな!」
「だって、あの先生の言うことは滅茶苦茶ですよね。『半額にしろ』はないですよ!」
「そりゃそうだが、顔に出すのはプロとしてはマズいな」
「課長は昔から顔に出さずに対応できたのですか?」
「石崎、俺ができたと思うか? むしろ、先生とつかみ合いの喧嘩をしたこともある男だぞ。そんなことは、自慢にはならないけどさ」
「ははは。安心しました。どうやって克服したのですか?」
「克服できてはいないと思うけど、商談やクレームの前には、事前準備としてシミュレーションをして色々なパターンを想定するようにしたな」
「そうか、たしかに予想外のことが起きると心が乱れますよね?」
「そうだよ。人間だから毎日色々なことがある。カミさんと喧嘩した日はむしゃくしゃするし、やる気の出ない日もある。二日酔いで吐きそうな日もあるし、風邪をひいて体調が最悪の日もある。こんな俺だが、そんなときでも、なるべくお客様の前では普段と変わらない自分でいようと努力はしてきたつもりだ」
「巨人が負けた次の日もですか?」
「おお、そうだ。特に大逆転でサヨナラ負けをした翌日なんて、巨人ファン以外の奴をみると殴りたくなるけどな。そこを我慢して心を鍛えてきたんだ」
「なかなか難しいですよね。私は彼女と喧嘩した次の日は、全然仕事をする気になれません」
「でもな、石崎。お前や俺が彼女と喧嘩しようが、体調が悪かろうが、巨人が大敗しようが、お客様には関係のないことじゃないか。プロならそんなときでも笑顔で接するべきだと思わないか?」
「たしかにその通りですね」
「たとえ本心は揺れ動いていても、お客様の前では心を安定させて接する。これがプロの営業人だよな!」
「はい、私も心を鍛えます!!」
ひとりごと
学問は、禍福終始を知って惑わないためにするものだ、とは荀子の言葉です。
とはいえ、凡人の小生は、小さなことにもすぐに心が反応してしまいます。
『書経』にも五事を正す、という教えがあり、近江聖人・中江藤樹先生はこの教えを大切にしました。
五事とは、貌・言・視・聴・思の五つです。
まず冒頭に貌があります。なるべく穏やかで温和な表情を心掛けよ、ということです。
心を鍛えないと、貌を正すことは難しいですね!
【原文】
「心躁なれば則ち動くこと妄、心蕩なれば則ち視ること浮(ふ)、心歉(けん)なれば則ち気餒(う)え、心忽なれば則ち貌(かたち)惰り、心傲なれば則ち色矜(ほこ)る」。昔人(せきじん)嘗て此の言有り。之を誦して覚えず惕然(てきぜん)たり。〔『言志後録』第219章〕
【意訳】
「心が騒げば動きも乱れる、心にしまりがないと見ることも落ちつきを失い、心が充実していないと気がおとろえ、心がおろそかであると表情もしまらず、心が傲慢であると顔色にも驕りがみえてしまう」昔の人はかつてこう言った。これを暗誦して思わず恐れ慎まざるを得ない。
【一日一斎物語的解釈】
なるべく心を平静に保つことが、物事を首尾よく運ぶための秘訣である。人と接するときは、喜怒哀楽を表に出さない努力をすべきだ。

