営業2課の本田さんが、売上の少ない顧客を整理したいという提案を持ってきたようです。
「本田君、本当にそれで良いと思う?」
「え? 神坂課長、ダメですか?」
「ダメという訳じゃないけど、古くからのお得意先は大事にすべきだと思うんだよな」
「しかしリストアップしたクリニックさんは、年間売上が50万円に満たないんですよ! 中にはシリンジ1個を急いで持ってこいという所もあります。儲からないだけでなく、工数も取られるんです」
「本田君の言いたいことはよく解るし、ビジネスという観点からみたら間違いじゃないのかも知れない。でも、たとえばこの中本クリニックさんなんて、大先生の時代から取り引きさせてもらっているよね。たしか、当社創業時の最初のお客様のうちのひとつだよ」
「え、そうなんですか?」
「そうか、そういうことも伝えていないもんな。それは我々マネージャーの責任だね。当社を育ててくれた古くからのお客様を簡単には切れないじゃないか?」
「たしかにそうですね・・・」
「『井戸を掘った人を忘れてはいけない』という言葉があるのを知ってるかな? ある村では水を汲むのに毎日川まで数キロの道のりを桶を担いでいかなければならなかったらしいんだ。雨の日も風の日もね。それを見かねたある青年が井戸を掘るんだよ。そんなところから水が出るはずがないと皆に馬鹿にされても、彼は井戸を掘り続ける。そして遂に水脈を掘り当てて井戸を作るんだ」
「すごい意志の持ち主ですね」
「そう。だから当然、村人から感謝されるんだね。これで遠くまで水を汲みにいかなくて良くなったわけだから」
「はい」
「ところがそれから数十年経つと、こんなことを言う村人が増えてくるんだ。『なぜこんな中途半端なところに井戸を掘ったんだ。もっと近くに掘ってくれれば良かったのに』ってね。たしかに井戸は村から少し離れたところに作られていたんだ。村人はそこまで水を汲みに行くのが面倒だと思うようになってしまったんだね」
「ひどい話ですね。昔の苦労に比べればどれだけ楽になったのか、それを忘れてしまってはいけませんよね?」
「そのとおり! これが『井戸を掘った人を忘れてはいけない』という話だよ」
「そうか! 中本クリニックさんは我々にとっては井戸を掘ってくれた人に当るんですね!」
「そうじゃないかな? ただ、村人がそう思うようになったのは村の長(おさ)や長老たちがそれを伝えてこなかったことも原因のひとつだよね。今回の件でいえば、俺たちマネージャーの責任なわけだ」
「神坂課長、わかりました。再度、リストの見直しをしたいので、当社の歴史を詳しく教えてください」
「本田君、ありがとう。それなら俺より佐藤部長の方が詳しいから、部長にお願いしてみるよ!」
ひとりごと
この「井戸を掘った人を忘れない」というエピソードは、小生の師から教えていただいた話です。
はじめて聞いたとき、とても感動し、そして多くのことに応用できる話だなと思いました。
人はどうしてもすこしでも楽な方法を選びたがります。
しかし、「いまあるもの」も多くの先人たちの血のにじむような努力の結果生まれたものばかりのはずです。
井戸を掘った人を忘れない人でありたいですね。
【原文】
聖賢の故旧を遺(わす)れざるは、是れ美徳なり。即ち人情なり。余が家の小園、他の雑卉(ざつき)無く、唯だ石榴(せきりゅう)・紫薇(しび)・木犀の三樹有るのみ。然も此の樹植えて四十年の外に在り。朝昏相対して、主人と偕(とも)に老ゆ。夏秋の間、花頗る観る可く、以て心目を娯(たの)しましむるに足る。是れ老友なり。余が性は草木に於いて嗜好較(やや)澹(あわ)し。然も此の三樹は眷愛(けんあい)すること特に厚し。凡そ交(まじわり)の旧き者は、畢竟忘るる能わず。是れ人情なり。故旧遺れざるは、情此れと一般なり。〔『言志後録』第237章〕
【意訳】
『論語』に「故舊遺れざれば則ち民偸(うす)からず」とあるが、これは美徳であり、人情ともいえる。我が家の庭には種々の草木はなく、石榴(ざくろ)・百日紅(さるすべり)・木犀の三種の樹木があるだけである。これらの樹木は植えてから四十年以上が経過している。朝夕鑑賞しつつ、主人とともに老いてきた。夏から秋にかけては美しい花が咲き誇り、目や心を楽しませてくれる。まさに老友といえよう。私は草木についてはあまり愛着がないが、この三本の樹木だけは特にかわいがってきたのだ。およそ旧知の人はいつまでも忘れることはできない。これが人情である。孔子が「故舊遺れざる」と言った気持ちは、これと同様であろう。
【一日一斎物語的解釈】
古くからのお客様というのは旧友である。売上の多寡に目を奪われることなく、古くからの関係を大切にすべきである。