今日の神坂課長は、A県立がんセンター消化器内科の多田先生のもとを訪ねているようです。

「神坂、お前益々本を読む人の顔になってきたな。だが、若干老けたか?」

「え、マジですか? まだ41歳ですよ」

「本に読まれているんだろうな」

「どういうことですか?」

「読書というのは数多くすれば良いというものではないからな。片っ端から読んだところで、1年も経てばほとんどその内容なんか覚えていないものだ。神坂、去年読んだ本の内容を覚えているか?」

「た、たしかにそうですね。何を読んだかすら一瞬思い出せません」

「もちろん今までのお前は本を読まなさ過ぎだった。しかし、今は焦って次から次へと手を出していないか?」

「そのとおりです。次々に読みたい本が出てくるんです」

「もちろん目を通しておくだけで良い本もある。たとえば売れ筋の本なんかは、参考程度に読むのもいいだろう。だが、本当の自分の血肉になるような本をじっくり選ぶべきだぞ。そして、その本は何度も何度も熟読するんだよ」

「それって、何冊くらい選べばいいのでしょうか?」

「それは個人の能力にもよるからな。しかし、多くても30冊程度で良いんじゃないか?」

「そんなに少なくていいのですか? この前、『全釈漢文大系』を買いましたが、あれだけで30巻以上あ
りました!」

「その中から大事なもの、たとえば『論語』や『老子』、『孫子』あたりを愛読書に加えればいいだろう。後は目を通して重要なところだけ抜粋しておけばいい」

「なるほど」

「神坂、お前は何のために読書をしているんだ?」

「それは、やはり仕事に活かすためですが、自分の血肉になるような本も選ぶことを意識し始めたところです」

「おお、それはいいな。人間力を高める本を読むことが一番だ。人間力さえ高くなれば、ビジネスなんて何をやっても成功するだろう」

「そうなんですか?」

「そりゃそうさ。人間力の高い人のところに人間は集まってくるんだからな」

「多田先生、ありがとうございます。一生の愛読書選びも始めてみます!」


ひとりごと

本好きの皆さんも次から次へと本を買ってしまい、読まずに積んでおくだけの積読になっていませんか?

売れ筋の本にも目を通すことに意味はあるはずです。

しかし、古典と呼ばれるような長く読み続けられている本を読むことを意識すべきでしょう。

自分の血となり肉となるような書を厳選し、常に手元において愛読する。

そんな習慣を身につけましょう。


【原文】
余は弱冠前後、鋭意書を読み、目、千古を空しゅうせんと欲す。中年を過ぐるに及び、一旦悔悟し、痛く外馳(がいち)を戒め、務めて内省に従えり。然る後に自ら稍得る所有りて、此の学に負(そむ)かざるを覚ゆ。今は則ち老ゆ。少壮読む所の書、過半は遺忘(いぼう)し、茫として夢中の事の如し。稍留りて胸臆(きょうおく)に在るも、亦落落として片段を成さず。益々半生力を無用に費ししを悔ゆ。今にして之を思う、「書は妄に読む可からず、必ず択び且つ熟する所有りて可なり。只だ要は終身受用足らんことを要す」と。後生、我が悔を蹈むこと勿れ。〔『言志後録』第239章〕

【意訳】
私は二十歳前後の頃、一心不乱に書物を読み、千年の昔のことまで極め尽くしたいと思っていた。中年を過ぎる頃、一度そのことを後悔して、心を外物にはしらせることを戒め、務めて心の内を省みるようにした。その後やや自得するところがあり、儒学に反しないことを悟った。今は年老いて、若い頃に読んだ本のことも大半は忘れ去り、ぼんやりとして夢のようである。胸の内に記憶していることも、まばらで断片的である。益々この半生を無駄に過ごしてきたことを悔いている。今になって思うことがある。「読書は妄りに読むべきものではなく、よく選択をして熟読玩味すべきである。ただ要点は、本で学んだことを一生活用することである」と。後に続く人達は、私の後悔を繰り返さないで欲しい

【一日一斎物語的解釈】
読書はみだりに数を読めばよいというものではない。むしろ良書を厳選し、それを熟読することが望ましい。その目的は、自分自身の人間力を高めることに置くべきである。


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