今日の神坂課長は、営業部の佐藤部長と夕食を共にしているようです。

「一斎先生によるとね、私のように五十を過ぎた人間は、『察の領域に入らなければいけないと言われているのだ」

「『察の領域ですか?」

「そう。天命を知り、それを楽しむ領域に入っていなければならないということらしいんだ」

「部長は天命を知り得たのですか?」

「いやいや、そう簡単なことじゃないよ。まあ、私は医療機器販売の世界で生きてきたわけだから、感覚的には医療の進歩に携わり、地域医療の発展に貢献していくということだろうとは思うんだけど、まだ腹に落ち切っていないんだよね」

「私もさっぱりわかりません」

「神坂君の年齢は、一斎先生によれば、『観』のときだと言っている。じっくりと深く道理を見極める時期だということかな」

「道理を見極める、ですか? なかなか難しいことですね」

「いずれにしても、我々医療機器屋は、医療機器の提供という手段を通して、実現したいものを実現させるしかないんだろうけどね」

「医療機器の販売は目的ではないということですね?」

「そう。我々の仕事は医療機器を売ることではない。最適で安全な医療機器の提供を通じて、地域医療に貢献していくことが目的だ。ただし」

「ただし?」

「そこからは、各自がそれぞれの実現すべき志を持たなければいけないんだと思う。神坂君と私では、志が違ってよいということだね」

「志は違わなければいけないのですか?」

「ははは。そんなことはないだろうけど、やはり十人十色で、それぞれの強みを生かした形で自己実現を図
るべきじゃないのかな?」

「難しい話ですが、いまはとにかく古典を学び、それを泥臭く実践に活用して気づきを得て、それをまた次の学びや実践に活かしていくということを繰り返していこうと考えています」

「すばらしいことだよ。私も同じくだ。天命が見えてくるまで、愚直に学びと実践を繰り返していくしかないね」


ひとりごと

『論語』の解説書によると、視と観と察とは、「みる」という行為ではありますが、視から観、観から察に行くほど、深く掘り下げいくその深さに違いがあるとされています。

「視」と「観」は、物の外面をみること、「察」とは内面をみることだとも解説されています。

なにを「みる」のかといえば、「視」は人の行動や言動をみる。

「観」はその人のこれまでの経歴(来し方)をみる。

「察」とはその人の志をみる、ということのようです。

年齢を重ねるにつれて、言葉や表情から相手の心の内をみる力をつけていかねばならない、ということでしょう。


【原文】
余自ら視・観・察を飜転(ほんてん)して、姑(しばら)く一生に配せんに、三十已下(いか)は視の時候に似たり。三十より五十に至るまでは、観の時候に似たり。五十より七十に至るまでは、察の時候に似たり。察の時候は当に知命・楽天に達すべし。而して余の齢今六十六にして、猶お未だ深く理路に入る能わず。而るを況や知命・楽天に於いてをや。余齢幾ばくも無し。自ら励まざる容(べ)からず。〔『言志後録』第240章〕

【意訳】
『論語』為政第二篇に「其の以(為)す所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察す」とあるが、これを拡大解釈して人の一生にあてはめてみると、三十歳以下は「視」の時期にあたるのではないか。三十歳から五十歳までは「観」の時期、五十歳から七十歳までは「察」の時期にあたるであろう。「察」の時期には知命・楽天に達していなければならない。私は六十六歳になるが、いまだに道の深遠に達せずにいる。ましてや知命・楽天などは届くべくもない。残りの人生も長くはない、自ら励まざるを得ない

【一日一斎物語的解釈】
『論語』為政第二篇の「視・観・察」を人の人生に当てはめるならば、三十歳までは「視」のとき、三十〜五十歳までは「観」のとき、五十〜七十歳までは「察」のときと言えよう。そう考えてみれば、七十歳までには、自分の天命を知り、天命を楽しむ境地に達していなければならないことになる。残された人生を考えれば、一刻の猶予もない。


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