今日の神坂課長は、N鉄道病院名誉院長の長谷川先生、佐藤部長と3人で割烹に居るようです。

「長谷川先生、先日、佐藤とも話したのですが、五十代というのは人生においてとても大切な時期ですよね? 先生の五十歳ごろはどんな状況だったのか、教えていただいてもよろしいですか?」

「私の五十代ねぇ。私は教授になったのは53歳のときなんだよ。それまでに手がけてきた仕事が成果を出し始めた頃でもあるから、すごく充実していたよ」

「当時は53歳で教授になるというのは、お早い方でしたもんね?」

「そうだねぇ。今では40代前半の教授も増えてきたけどね」

「天命を知ったのもその頃ですか?」

「天命か? うーん、どうだろうなぁ。医学の道を進むと決めたのは10代のときだったけど、大腸疾患の領域で仕事をしたいと思ったのは30代になってからだったかな?」

「大腸疾患の研究が、長谷川先生の天命ですか?」

「そう思いたいな」

「やっぱり先生は偉人です! 30代で天命を知ってしまったのですから! ねぇ、部長」

「長谷川先生は、我々凡人とは違うからね」

「ははは、二人揃ってこんな爺さんをおだてて、ここの勘定を支払わせようとでも思ってるのかな?」

「と、とんでもないです!!」

「実は、50代は多くの失敗を経験した時期でもあったんだ」

「え、長谷川先生が失敗?」

「うん、私は部下には厳しく接して来たからね。成果を出せない部下は容赦なく叱ってきたんだけど、教授になってからはそれが酷くなったのかも知れない」

「その失敗のお話を聞かせてもらってもよろしいですか?」

「ある若い医師をうつ病にしてしまったんだ。とても有能な子だったけど、ちょっと手を抜くクセがあってね。それが許せなくて、かなり追い込んでしまったんだな」

「その先生はどうなったのですか?」

「医局を辞めてしまった。それから地元にもどって小さな村の診療所で働いていると聞いてい
る。その後、会ったことはないんだけどね」

「そうだったんですか」

「五十代というのは、経験を積んで良い仕事ができる年齢でもある反面、調子に乗って失敗をする危険性も高くなってくる年齢と言えるんじゃないかな。即断即決できるからこそ、なにごとも慎重に対処すべきなんだろうね」

「長谷川先生、ありがとうございました。ちょうど五十代の部長にとって大変有意義なお話を聞けたということで、ここは佐藤がしっかり奢りますから御遠慮せずにお食事なさってください」

「えーっ?」 


ひとりごと

小生もいま52歳です。

まさに五十代の入り口にたどり着いた今、自分の至らなさから晩節を汚しかねない状況下にあります。

慎みを忘れず、感謝の気持ちをもって、日々を過ごしていく所存です。


【原文】
齢五十の比(ころ)、閲歴日久しく、練磨已に多し。聖人に在りては知命と為し、常人に於いても、亦政治の事に従う時候と為す。然も世態習熟し、驕慢を生じ易きを以て、則ち其の晩節を失うも、亦此の時候に在り。慎まざる可けんや。余は文政辛巳(しんし)を以て、美濃の鉈尾(なたお)に往きて、七世・八世の祖の故墟(こきょ)を訪(と)い、京師に抵(いた)りて、五世・六世の祖の墳墓を展し、帰途東濃の巌邑(いわむら)に過(よ)ぎりて、女兄に謁(えっ)す。時に齢適(まさ)に五十。因て、益々自警を加え、今年に至りて犬馬の齢六十有六なり。疾病無く事故無く首領を保全せり。蓋し誘衷(ゆうちゅう)の然らしむるならん。一に何ぞ幸なるや。〔『言志後録』第241章〕

【意訳】
年齢が五十歳になる頃には、多くのことを経験して積み重ね、かなりのことに習熟してくるものである。聖人(孔子)においては天命を知る頃であり、通常の人でも政治に従事する時期であろう。しかも世間ずれをなしたり、驕りの心が生じて晩節を失うのもこの時期においてであろう。大いに慎まなければならない。私は文政四年に美濃の鉈尾(今の岐阜県美濃市)に赴き七代、八代の先祖の昔の館址を訪れ、京都に出て五代、六代の墓を参り、その帰途に東濃の巌邑(現岐阜県恵那市岩村町)に寄って姉に会った。それがちょうど五十歳の頃であった。それから益々自警して今年六十六歳となった。病気もなく事故にも遭わず一命を全うしてきた。これは天がまごころをもって自分をよい方向に導いてくれたお陰であろう。なんと幸せなことであろうか

【一日一斎物語的解釈】
五十歳になる頃は、経験を積んで大きな仕事ができる時期である半面、驕りや勘違いによって晩節を汚すきっかけとなる時期でもある。細心の注意を払って、仕事や人付き合いに臨む必要があるのだ。


pet_inu_rouken