今日の神坂課長は、夫婦水入らずでうなぎを食べに出かけたようです。

「あれ、菜穂。お前、すっぴんで出てきたのか?」

「失礼ね、これでも簡単にお化粧してますけど!」

「あ、そうなの。ごめん」

「なによ、老けたとでも言いたいの?」

「おいおい、そんなにムキになるなよ。すっぴんでも可愛いなと思っただけだよ」

「わー、嘘くさい! よくそんな科白が堂々と言えるわね!」

「お前さぁ、もう少し可愛い女性を目指した方がいいぜ。そのままババアになったら、どれだけ嫌味に磨きがかかるか末恐ろしいわ」

「イサこそ、昔はもっと『可愛い』とか言ってくれたじゃない」

「だから今言ったじゃん!」

「今のは口から出まかせというか、変なこと聞いちゃったから誤魔化そうとしたというか、心からじゃないわよね?」

「心から言ってるのになぁ。あ、そうそう、佐藤一斎先生という昔の偉い学者さんが言ってるんだぞ。女性の四十歳というのは、その後の人生を左右する大事なときだって

「へぇー、そうなの。なんで?」

「そのくらいの年齢になると、人生経験を積んで上手に人付き合いができるようになる半面、姑もいなくなって気を使う必要もなくなるから、お化粧もしなくなったり、嫉妬深くなったりするからだ、と言ってる」

「化粧はしてるって言ってるじゃない! それに嫉妬するほどモテる亭主でもないしね」

「ちっ、それは否定できないけどさ。まあ、お互いに慎ましくしようよ」

「あのね、ひとつだけ言っておきたいことがあるんだけど!」

「なに?」

「あたしはまだ35歳なんですけど!!」

「え、まだそんなに若かったっけ?」

「おい、イサム! その目ん玉引っこ抜くぞ!」

「あ、ほら、ひつまぶしが運ばれてきたよ。さあ、せっかくの夫婦水入らずの休日だ。楽しく食事しようではないか!」

「お前の奢りでな!」


ひとりごと

たしかに四十歳という年齢は女性にとって、いろいろな意味で人生の曲がり角ではないでしょうか?

他人から「おばさん」と呼ばれるのも、だいたいそのくらいの年齢からですし・・・。

これ以上書くと泥沼にはまりそうなので、これくらいにしておきます。


【原文】
婦人の齢四十も、亦一生変化の時候と為す。三十前後猶お羞を含み、且つ多く舅姑(しゅうこ)の上に在る有り。四十に至る比(ころ)、鉛華(えんか)漸く褪せ、頗る能く人事を料理す。因って或いは賢婦の称を得るも、多く此の時候に在り。然も又其の漸く含羞(がんしゅう)を忘れ脩飾する所無きを以て、則ち或いは機智を挟(さしはさ)み、淫妬(いんと)を縦(ほしいまま)にし、大いに婦徳を失うも、亦多く此の時候に在り。其の一成一敗の関すること、猶お男子五十の時候のごとし。預(あらかじ)め之が防を為すを知らざる可けんや。〔『言志後録』第242章〕

【意訳】
女性の四十歳という年齢も、一生のうちで変化のある時期である。三十歳前後はまだ羞じらいがあり、舅と姑も健在であることが多い。四十歳になる頃には、おしろいをつけることもなくなり、とても上手に人付き合いができるようになる。そこで賢婦人だと言われるようになるのも、この年齢の頃であろう。しかし一方で、羞恥心を忘れ化粧をすることもなくなって、賢しらを用いたり、嫉妬心を抱くなどして、大いに婦人としての徳を失うのも四十歳頃のことである。あるいは上手くいき、あるいは失敗するというのも、男性の五十歳頃と同様である。あらかじめ防ぐ手立てを知らなければならない

【一日一斎物語的解釈】
女性にとっては四十歳という年齢は、その後の人生を決める大切な年齢である。大いに用心して、慎み深く行動しなければならない。


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