営業2課の山田さんの実家はお寺であり、山田さん自身も僧籍を持っています。
今日はお寺の仕事の手伝いで実家に来ているようです。
「おやじ、お寺の仕事は兄貴に任せて、少しゆっくりしたらいいじゃないか?」
「譲(兄の名)にすべて任せているさ。ただ、俺は根っからの坊主だからな。こうして日々、お経を唱えないと心が落ち着かないんだよ」
「それらないいけど、無理はしないでよ」
「俺はもうすぐ70歳になるが、志気だけは衰えていないから、死ぬまで修行を続けるつもりだよ。まあ、たしかに体力の低下は否めないけどな」
「無理せず、長生きをして精進することも、僧侶として大切な生き方じゃないの?」
「寿命の長さは関係ないさ。どれだけ目の前のことに精進できるかだよ」
「おやじらしいなぁ。だけど、しっかり息抜きもしないとダメだよ」
「ははは。心配してくれているのか? 大丈夫だ。昨日も同世代の仲間と集まって、カラオケでストレスを発散してきたから」
「そうなのか、それはよかった。そういうことも大事だよね」
「任(たもつ)、ところでお前はどうなんだ? 例の年下の上司は相変わらずか?」
「それがね、その神坂さんは最近すごく勉強をしていて、人間力を高めているんだよ」
「ほぉ、どんなきっかけがあったんだ?」
「きっかけはよくわからないけど、部長の存在が大きいんだと思う」
「お前の話を聞いていて思ったのは、その人は元々熱いものをもっている人なんだろう。おそらく志気も血気も盛んな人で、今まではどちらかというと血気が志気に勝ってしまっていたんだろうな」
「ああ、なるほどね。そうかもしれない」
「それが、その部長さんの人間力に接して少しずつ血気が抑えられるようになったんだろう。年齢的にはまだまだ血気が自然に衰えるような年齢ではないからな」
「俺に対する接し方も随分穏やかになったよ。お陰で、髪の毛が抜けていくのも今は抑えられているかも?」
「坊主の息子なんだから、全部剃ってしまえばいいだろう」
「なんでだよ! スキンヘッドの営業マンなんて、怖くて誰も近寄ってこないよ!」
ひとりごと
小生はまだ52歳ですが、以前に比べると無理が利かなくなってきたことを痛感します。
かつては、深夜2時・3時まで起きていても、翌日大きな支障はありませんでしたが、今はもう無理です。
しかし、一斎先生が言うように、志気は衰えていないと信じています。
ただし、学びを怠ってはいないものの、楽しく働けているかというと・・・。
よく学び、よく笑う日々を過ごせるよう精進します!
【原文】
血気には老少有りて、志気には老少無し。老人の学を講ずる、当に益々志気を励まして、少壮の人に譲る可からざるべし。少壮の人は春秋に富む。仮令今日学ばずとも、猶お来日の償う可き有る容(べ)し。老人は則ち真に来日無し。尤も当に今日学ばずして来日有りと謂うこと勿るべし。易に曰う、「日昃(かたむ)くの難は、缶(ふ)を鼓して歌わざれば、則ち大耋(てつ)の嗟(なげき)あり」とは、此を謂うなり。偶感ずる所有り。書して以て自ら警(いまし)む。〔『言志後録』第243章〕
【意訳】
血気には老若の違いがあるが、志気には老若の違いはない。老人が学問を修める場合は、益々志気を高めて、若い人たちに劣るようではいけない。若い人の人生は長い。今日学ばなかったとしても、将来的に埋め合わせることもできよう。しかし老人にそのような時間はない。朱子が「今日学ばずとも明日があるなどと言ってはいけない」と言っているのも尤もなことだ。『易経』にも「日が西に傾いて夕方となった、人生でいえば老境であり、先が久しく続くわけではないのである。日が中央にかかればやがて傾くのは天命である。この理を知り君子は老境を相応に楽しく過ごし、良き後継者を求めて心の安息を得るべきなのである」とあるが、このことを指摘しているのであろう。少々感じるところがあったので、ここに記して自らの戒めとしたい。
【所感】
老齢を迎えた人には残された時間も少ない。志気を保ち、日々の学びを怠ってはいけない。しかし、また一方で楽しむことも忘れずに過ごしたいものだ。