今日の神坂課長は、N鉄道病院名誉院長の長谷川先生を訪れたようです。
「長谷川先生が生涯大切にしているものはどんなことですか?」
「いきなり大きな質問だね」
「私も40歳を超えて、残り半分の人生を何を大切にして生きれば良いのか、なんて考えるようになりましたので・・・」
「人生100年時代と言われているんだから、神坂君はまだ半分まで達していないでしょう?」
「私たちの世代は90歳くらいまでじゃないでしょうか。いずれにしても残りの人生を有意義に生きたいと思っています。なにせ、いままでだいぶ無駄に過ごしてきましたから」
「ははは。半生を振り返っての反省だね!」
「ということで是非先生、教えてください」
「そうだねぇ。親孝行・自己修養・人材育成の3つかなぁ」
「え、親孝行ですか・・・。失礼ですけど、長谷川先生の御両親は・・・」
「もちろんあの世に旅立ったよ。でも、健康に留意することは、親から譲り受けた身体を大切にすることになるから、結局は親孝行になるはずでしょう? もちろん、神坂君のご両親は健在なんだから、しっかり親孝行すれば良いんじゃないかな」
「親孝行かぁ。はい、しっかり考えます」
「修養については、人間死ぬまで勉強だからね。神坂君も最近はよく勉強しているみたいだしね」
「先生を前にしては、とても勉強しているなんて言えません!」
「そんなことはないよ。最近は本を読んでいる人の顔になってきているよね」
「本当ですか! うれしいです」
「三つ目の人材育成については、私のような年齢になった者が最後にやらなければならないこと。業界や世の中への恩返しだよね」
「いまでも人材育成のお仕事はされているのですか?」
「今は月に一度、この病院の若いドクターに、医師としてのあり方を伝える研修をやっているんだ。ときどき講演などにも呼ばれることがあるから、そのときも主に伝えるのは、医師の在り方になるね」
「『医師のあり方』ですか・・・。ということは、営業マンとしてのあり方というのもあるんでしょうね?」
「それはもちろんだよ。それをしっかりとつかんで若い人に教えていくことも、神坂君の大事な仕事だと思うよ」
ひとりごと
たしかにこの孟子の三楽はいいですね。
親孝行・人間修養・人材育成、この3つを常に心掛ければ、間違った道を歩くことはないかも知れません。
悪い人の集まりにうっかり呼ばれてしまうようなことも・・・。
【原文】
孟子の三楽、第一楽は親に事(つか)うるを説く。少年の時の事に似たり。第二楽は己を成すを説く。中年の時に似たり。第三楽は物を成すを説く。老年の時に似たり。余自ら顧(おも)うに、齢已に桑楡(そうゆ)なり。父母兄弟皆亡す。何の楽か之有らんと。但だ自ら思察するに、我が身は即ち父母の遺体にして、兄弟も亦同一気になれば、則ち我れ今自ら養い自ら慎み、虧かず辱めざるは、則ち以て親に事うるに当つ可き歟(か)。英才を教育するに至りては、固より我が能くし易きに非ず。然れども亦以て己を尽くさざる可けんや。独り怍(は)じず愧じざるは、則ち止(ただ)に中年の時の事なるのみならず、而も少より老に至るまで、一生の愛用なれば、当に慎みて之を守り、夙夜(しゅくや)諼(わす)れざるべし。是の如くんば、則ち三楽皆以て終身の事と為す可し。〔『言志後録』第244章〕
【意訳】
『孟子』尽心上篇には「三楽」が掲載されている。第一の楽しみは親に仕えることを挙げており、これは少年時代に当てはまる。第二の楽しみは自分を完成させることを説いており、これは中年の世代に当てはまる。第三の楽しみとして人材の育成を説いているが、これは老年の時代に当てはまる。私は自らを顧みて思うことがある。すでに自分も晩年期を迎え、父母兄弟は皆死んでしまった。何の楽しみが残っていようか。ただ自ら考えてみれば、『孝経』にあるように、私の身体は父母の遺体であり、兄弟もみな同様であるから、我が身を養い、慎み深くして、落度をなくし天に恥じない生活をすることが、親に仕えることに当たるのではないか。人材を育成するにおいては、私が容易にできることではないが、まず己を尽くすべきであろう。天に恥じない行ないをすることは、ただ中年の時だけに限らず、少年時代から老年に至るまで、一生のことであるから、慎んで守っていくべきであり、早朝から夜に至るまで忘れてはならないことである。そう考えてみると、結局『孟子』の三楽は一生のこととしていかねばならないのであろう。
【一日一斎物語的解釈】
親孝行・自己修養・人材育成、この3つを一生涯の仕事とし、決して疎かにしてはいけない。