今日の神坂課長は、善久君とランチを食べ終えて会社に戻るところのようです。

「課長、ごちそうさまでした。久し振りに鰻を食べました」

「お前もいろいろあったからな。鰻で元気を取り戻してもらおうと思っただけだ。おっ、あれは霊柩車だよな。親指を隠さないと!」

「課長、そんなの古い迷信じゃないですか?」

「いや、わからんぞ。お前も御両親とも健在なんだろう。ちゃんと親指を隠して置けよ」

「私はそういうのを信じませんから」

「古い迷信で思い出したけど、朝礼時に皆で声を合わせて唱和することを復活させたいと考えているんだ」

「うわー、それこそ古い慣習で、時代遅れじゃないですか!」

「古い慣習には、『古き良き慣習』と『古き悪しき慣習』がある。朝の唱和は、皆の心をひとつにするという意味でとても意義深いと思っているんだ」

「何を唱和するんですか?」

「営業マンの心得みたいなものがいいだろうな。俺が入社した頃は、毎朝やっていたんだぞ」

「そうなんですか!」

「『私たちは営業のプロである~』みたいな内容だったな」

「意味があるんですかね?」

「お前みたいにすぐ迷いが生じる奴には、営業マンの心得を毎朝唱和することはとても重要だぞ。判断を迷ったときに、その言葉が頭に浮かんで背中を押してくれるはずだからな」

「なるほどなぁ」

「しかし、よろしくない慣習はスパッと無くしていくことも必要だろうな。たとえば会議資料を何でもかんでも紙に印刷するなんていうのは、考えものだよな。連絡事項なら各自PCで確認すれば良いことだからな」

「それはそうですね」

「それから、今日みたいに後輩が弱っているときに先輩が飯を奢るというのも悪しき習慣だよな。金がいくらあっても足りないよ」

「それは『古き良き習慣』ですけど、私が上司になる頃にはなくなるといいですね」

「お前が人の上に立つ頃には、間違いなくそうなっているさ。でもな、無くなるのはそれだけじゃないぞ。老後の年金も崩壊しているかも知れないからな」

「それは残っていて欲しいなぁ!」


ひとりごと

皆さんの会社でも「昔からやっている」という理由だけで続けている無意味な慣習がありませんか?

逆に良い慣習であったのに、時代の流れでやめてしまった慣習はないですか?

慣習はある意味で企業の風土をつくる大切なものです。

よく吟味して仕分けをし、良い慣習については継続させましょう。


【原文】
邦俗には途(みち)にて柩(きゅう)に遇う時、貴人は則ち輿夫(よふ )輿(こし)を擡(もた)げて走行し、徒行者は則ち左右に顧みて唾す。太だ謂れ無きなり。宜しく旁(かたわら)に辟け、佇立(ちょりつ)して少しく俯すべし。是れ喪を哀れんで貌(かたち)を変ずるなり。又途にて縲絏(るいせつ)者に遇えば、則ち宜しく亦旁(かたわら)に辟けて、正視すること勿れ。是れ罪を悪めども而も人を恤(あわれ)むなり。瞽者(こしゃ)は則ち宜しく我れ路を辟けて傔僕(けんぼく)をして喝せしむる勿るべし。是れ仁者の用心なり。然れども、貴人に在りては、儀衛趨従(すうじゅう)を具すれば、則ち行路自ら常法有り。必ずしも是(かく)の如きを得ず。但だ宜しく従者をして此の意を体知せしむべし。柩若しくは罪人に遇いて、輿を擡げて疾走するが如きに至りては、則ち之を繳(しゃく)せしめて可なり。〔『言志後録』第250章〕

【意訳】
わが国では、道の途中で柩に出遭ったとき、高貴な人は車を担ぐ人夫が車を持ち上げて走行し、歩行者は左右をみて唾を吐くことになっている。これは意味のないことである。道端に避けて立ち、すこし頭を下げればよい。これは死者を追悼して態度を改めるのである。また道の途中で罪人に出遭ったときは、道端に避けて、直視することを避けるべきである。これは罪を憎んでその人を哀れむからである。盲人の場合は道を避けて、使いの者に大声を出させないようにする。これは思いやりのある人の心遣いである。しかし高貴な人の場合は、護衛の武士を連れているので、路を行くにもきまった仕来りがあろう。必ずしも上に挙げたようなことを行う必要はない。ただ従者にその意味を理解させるべきである。柩や罪人に出遭って、車を持ち上げて走るなどという行為は、控えさせるべきである

【一日一斎物語的解釈】
社内にある古くからの慣習については、その妥当性をよく吟味し、不要なもの、もしくは時代錯誤のものがあれば正していくべきである。


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