シンガーソングライターの笠谷俊彦は夢を見た。

おそらく日本武道館だと思われる大きなホールで、スポットライトを一身に浴びて熱唱している自分自身の姿を。

笠谷は今まで一度もこんな夢を見たことはなかった。

たとえば、ステージに飛び出してみると、お客様がひとりもいないという夢や、発売したCDがまったく売れずに廃棄処分になる夢など、悪夢にうなされる方が多かった。

「和田さん、初めてだよ。自分が大観衆の前で歌っている姿が夢に出てきたのは」

「それだけ今が充実している証拠だろう。お前の中でなにかをつかみかけているんだろうな」

「そうなのかな? でも、毎日もがき苦しんではいるんだけどな。ふちさん(作詞家・ふちすえあき)が作ってくれた物語を聞く人の心のスクリーンに映し出すためのメロディを書くのは本当にしんどいよ」

「しかし、逃げ出したいとは思わないだろう?」

「それはそうだよ。なんとか良い曲を創りたいという気持ちしかない。俺と同じようにもがき苦しんでいる奴らを救えるかもしれないんだ。やるしかないだろう!」

「笠谷、その気持ちだよ」

「え?」

「お前に足りなかったのはその気持ちだ。今までのお前は自分のためだけに歌っていた。しかし今は、まだ出会っていない誰か、これからも直接出会うことはない誰かのために歌を創っている」

「たしかに、そうかも知れない」

「自分のために働くより、他人のために働くことの方が大きな達成感を得ることができるんだ。この国の中でもがき苦しんでいる誰かの背中を押す歌を歌おう、笠谷!」

「和田さん!」

「いい顔になってきたよ。充実した日々を過ごしている証拠だ。だから神様は、素敵な夢をみせてくれたんだ」

「そうだといいな」

「さあ、笠谷。夢を正夢にできるかどうかは、お前次第だ。絶対に妥協はするなよ!」

「わかっているさ!」


ひとりごと

当然といえば当然ですが、小生はここにあるような予知夢といったものを見たことはありません。

もし、一斎先生が言うように、心が澄んでわだかまりのない状態になれば予知夢を見ることができるのだとすれば、小生はまだまだ鍛錬が足りないということでしょう。 

自分のためでなく、誰かのため、世の中のために働く。

本心からそう思えたとき、人は予知夢を見ることができるのかも知れません!


【原文】
夜間形閉じて気内に専らなれば、則ち夢を成す。凡そ昼間為す所、皆以て象を現わすべし。止(た)だ周官の六夢のみならざるなり。前に説きし所の如きも、亦善妄に就きて、以て其の一端を挙げしのみ。必ずしも事象に拘(かかわ)らざるなり。然れども、天地は我と同一気にして、而も数理は則ち前定す。故に偶(たまたま)畿(き)の前に洩れて、以て兆朕(ちょうちん)に入る者有り。之を感夢と謂う。唯だ心清く胸虚なる者には、感夢多く、常人は或いは尠(すく)なきのみ。〔『言志後録』第252条〕

【意訳】
夜になると身体の活動が静まり、気が内に充満して夢となる。昼間はなすことがすべて形となる。ただ、『周礼』にある六夢だけがそうなのではない。以前にも書いたように、善念・悪念について、その一端を挙げたに過ぎない。必ずしも事象にこだわっているわけではない。しかしながら、天地と自分とは同一の気であって、天命はすでに定まったものである。それで、まれに天機が前に漏れて、その兆候が現われることがある。これを感夢といっている。心が清く胸中にわだかまりのない者は、感夢をみることが多いが、一般の人には少ないものだ

【所感】
心を磨き、日々を精一杯生き抜いていると、時には神のお告げと呼ばれるような予知夢を見ることがある。しかし、そのためには相当な努力が必要であり、単に神頼みをするようでは、予知夢を見ることは不可能である。


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