シンガーソングライター笠谷俊彦は、作詞家ふちすえあきから送られてきた詩に目を通していた。

「『憤るな、嘆くな、立ち止まるな、諦めるな。俺たちはみんな生かされているんだ。自分にしかできない何かを成し遂げるために、俺たちは生まれてきたんだ。さあ、嵐の中を前へ進むんだ』。いいな、この歌詞、さすがはふちさんだな」

「どうだ、笠谷。メロディは溢れ出てきそうか?」

「和田さん、この曲はアルバムのハイライトになる曲だろうな。きっと一生歌い続けていく歌になるはずだ」

「そうだな。しかし、この一連の歌詞を読むと、ふちさんはまずお前を励ましてくれているように感じるんだが」

「うん、間違いなくそうだよ。この詩を読んでいるだけで、俺は涙が出てくる。そうか、俺はまだ生きていて良いんだ。俺にもやれることがある。いや、俺にしかやれないことがある、って思えるんだよ!」

「さすがは売れっ子作詞家だな」

「そうだな。俺にはここまで人間の内面に入り込んだ詩は書けないよ」

「あの人は東洋哲学も勉強しているからな。言葉の深みも違うんだろう。この詩を読むと、人間というのは自分の意志で生まれてきたわけではない。だとすれば、何かに生かされているんだろう。そしてその何かは人間の体の外にはなくて、内にあるということなんじゃないかと思えてくる」

「なるほど、そういうことか! 人間というのは、まるで小さな宇宙を身体の中に収めているものなんだな」

「笠谷、どんなに哲学を学んでもメロディは創れない。お前にはそのメロディを生み出す力がある。心の小宇宙に問いかけて、そこからメロディを紡ぎだせ!」

「和田さん、ふちさん、ありがとう! なんとしても、もがき苦しんででも、この詩を活かすメロディを引っ張り出してみせるさ!!」


ひとりごと

朱熹(朱子)を中心とした宋代の儒学においては、人間は地から肉体を受け、天から魂を受けて生まれてくるという考え方をとります。

つまり、天地は吾の中にもあるということです。

だからこそ、人は本当に困った時には、何かにすがるのではなく、自分の心と対話するのでしょう。

生まれもっての良知と対話できるようになるために、学問は存在するのです。


【原文】
人は皆仰いで蒼蒼たる者天たり、俯して隤然(たいぜん)たる者地たるを知れども、而も吾が軀(み)の皮毛骨骸(ひもうこつがい)の地たり、吾が心の霊明知覚の天たるを知らず。〔『言志晩録』第7章〕

【意訳】
人はみな空を仰いでは青々とした天があることを知り、地を見てはやすらかに続く大地のあることを知るが、自分の体や皮膚、毛髪、骨などが地から得たものであり、自分の心の霊明さや知覚する能力は天から受けたものだということを知らない

【一日一斎物語的解釈】
人間も大自然の摂理の中で生かされている。つまり、一人ひとりの身体の中に小宇宙が存在しているものなのだ。


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