今日の神坂課長は、元同僚・西郷さんの主査する論語の読書会に参加しているようです。

「ある時、葉公(しょうこう)という人が孔子の弟子の子路に、あなたの先生はどんな人なのかと尋ねたのですが、子路は何も答えなかったのだそうです」

「なぜ、何も答えなかったのですか」
神坂課長が問いを発したようです。

「これは学者先生によって解釈が異なるんだけどね。恐らくは一言で言い尽くせなかったのだと思う。あまりにも偉大で素晴らしい人に対しては、適切な言葉が見つからないものじゃないかな」

「たしかにそうですね。何を言っても安っぽくなってしまいますね」

「そうだよね。ところで、それを後で聞いた孔子が、子路に対して、『私は道を求めて得られないときには、悶々として食事をすることさえ忘れ、道を得ることができれば嬉しくて辛いことなどすべて忘れてしまい、もう老いがそこ迄迫ってきているのにそれに気づくことがない、そんな人間だと言ってくれれば良かったのだよと答えている」

「なんだか、カッコいいですね」

「これは見事な孔子の自己紹介になっているよね。こんな自己紹介を身につけたいと思ってしまう」

「本当だな。私の自己紹介はこの孔子の言葉を借りて作り上げてみようかな」

「いいねぇ、ぜひ、やってみてよ」

「あすのレースの予想に夢中になると食事も忘れ、たまに馬券が当たるとそれまでに外れた馬券のこともすべて忘れ、結構いい歳になったのに、それに気づかず若者と一緒に声を張り上げている、そういう人ですよね、神坂さんは」

「ゴン!」

「痛ぇ、事実じゃないですか!」

「大累、事実なら何を言ってもいいと思うなよ。しかし、残念ながら事実ではないな。たまに馬券が当たるというところが間違っている。馬券はそこそこ当っているからな」

「そこですか?」

読書会に参加した一同は大爆笑です。

「ギャンブルにそこまでのめり込まれると困るけど、なにかひとつ大きな志を掲げて、そのために食事や憂い事を忘れてしまい、年老いたことすら気づかないでいられるような人生は素晴らしいよね」

「サイさん、そういう志を見つけないといけませんね。世のため人のためになる大きな志をね」

「はい、皆さん。神坂君が上手にこの章をまとめてくれたので、3回音読して次の章に行きましょう」


ひとりごと

この物語で取り上げている『論語』の章句は、述而第七篇にある大変有名な章句です。

孔子が自ら描いた晩年の自画像です。

また、絶妙は自己紹介になっていると感じます。

自分自身をこんな風に自己紹介できるような晩年を過ごしたいものです。


【原文】
「憤を発して食を忘る」とは、志気是の如し。「楽しんで以て憂を忘る」とは、心体是の如し。「老の将に至らんとするを知らず」とは、命を知り天を楽しむこと是の如し。聖人は人と同じからず。又人と異ならず。〔『言志晩録』第9章〕

【意訳】
孔子が「憤を発して食を忘る」と言ったのは、その志がそのように高かったことを指している。「楽しんで以て憂を忘る」と言ったのは、その心がそのようであったことを指している。「老の将に至らんとするを知らず」と言ったのは、孔子が天命を楽しんでいたことを示している。このように聖人と呼ばれる人は一般人にはないものを持っているようであるが、しかし一方では大きく異なるわけではない

【一日一斎物語的解釈】
食事を忘れ、憂いを忘れ、身体に老いがきていることも忘れるくらいに、天命と信じる仕事に没頭できることほど幸せなことはない。


ojiisan_face