今日の神坂課長は、息子の勉強机の上に置いてあった倫理の教科書を偶然目にして、思わず手に取ったようです。

「懐かしいなぁ。高校時代、倫理の木下先生の言い方をよくモノマネしたなぁ。『万物のアルケーは水である』なんてね。ところで、アルケーって何だっけ?」

神坂課長は、息子の机に座って倫理の教科書をめくっています。

「ああ、根源という意味か。『万物の根源は水であるって意味だったのか。あの言葉はタレスの言葉だったんだな」

「たしかに人間の体の70%は水だというしなぁ」

「ピタゴラスは万物の根源を数だと言ったのか。ヘラクレイトスは火だと言っている。火はないよな、さすがに!」

「おお、このデモクリトスという人はすごいな。万物の根源を原子だと言っている。一番、現代の考え方に近い人だな」

神坂課長は椅子を立って、自分の部屋に戻ってきたようです。

「宋代の儒学では、万物を理と気で説明しているんだよな。形あるものが気で、万物を支配する形なきものを理と読んでいたな」

神坂課長は、朱子学の本を引っ張り出してきました。

「うーん、いつ読んでもこの理気二元論ってやつはよくわからないなぁ。要するに万物を支配する理というのは、大自然の摂理のことなんだよな」

「それを『神』と読んだり、『お天道様』と読んだりしているわけだ」

「儒学でいえば、理の根本は『誠』ってやつなんだろう。誠が万物を支配していると考えるんだな。誠とは己に嘘をつかないことだと長谷川先生が教えてくれたな」

神坂課長は、本を閉じて、着替えを始めました。

「とにかく、自分に正直に、自分を偽らずに生きることが、大自然の摂理に逆らわずに生きることになるんだ。よし、己の本心に正直に生きるぞ!」

神坂課長は、鞄をもって外に出ました。

『朱子学と陽明学と題する講演会のパンフレットを手にしているようです。


ひとりごと

小生が尊敬する人生の先輩に、故安岡正篤先生のお弟子さんがいらっしゃいます。

その方から聴いた話ですが、安岡先生は晩年、「最近は誠がなくなったなぁ」とよく嘆かれたそうです。

たしかに今の日本人は「誠」を失ってしまったように感じます。

政治家諸氏が、家族や友に対して「誠」を貫くことを意識すれば、外交においても「誠」のある外交ができるのではないでしょうか?


【原文】
理は本形無し。形無ければ則ち名無し。形ありて而る後に名有り。既に名有れば則ち之を気と謂うも不可無し。故に専ら本体を指せば、則ち形後も亦之を理と謂い、専ら運用を指せば、則ち形前も亦之を気と謂う。並びに不可なること無し。浩然の気の如きは、専ら運用を指す。其の実は太極の呼吸にして、只だ是れ一誠のみ。之を気原と謂う。即ち是れ理なり。〔『言志晩録』第19条〕

【意訳】
理にはもともと形はない。形がなければ名前もつけられない。形があってはじめて名前をつけることができるはずである。ところがすでに理という名前がついているのであるから、これを気と名づけても問題ないはずである。したがってもっぱら本体を指す場合は、形となった後、すなわち形而下からはこれを理と呼び、もっぱら運用の側面を指す場合は、形となる前、すなわち形而上からはこれを気と呼んでもおかしくはないはずである。孟子のいう「浩然の気」は運用面を指している。その中身は宇宙万象の生成秩序の根源の働きであって、ただひとつの誠があるだけである。これを気の根源といい、即ちそれが理であるのだ

【一日一斎物語的解釈】
万物はすべて大自然の摂理を宿している。それは一言でいえば「誠」である。誠を貫けば、大自然の摂理に適い、万物と一体となれるのだ。


nigaoe_thales_taresu