今日の神坂課長は、佐藤部長とランチ中のようです。
「昨日、テレビで易経研究家の松村麻弥子さんが『易経』についてお話をされていたんですけど、すごくわかりやすかったですよ」
「ああ、BSの番組だよね。私は録画しておいたよ。まだ観てないけど」
「孔子も、『易を学べば、大きな禍を避けることができる』と言っているらしいですね」
「『論語』だね。その辺はサイさんに聞くと良いんじゃない?」
「ああ、そうですね。私も五十になるまでには『易経』を勉強してみようかな?」
「難解ではあるけど、学ぶことは多いよ」
「はい。松村先生は、龍の話をとてもわかりやすく話されていました。いまの自分は果たして、潜龍か見龍かどちらかかなと考えてしまいました」
「なるほどね。そうなると私は、『亢龍悔いあり』といったところかな」
「いやいや、部長は飛龍ですよ」
「そうか、神坂君をはじめとする立派な雲に守られているからね。これ以上、上を目指して失墜しないようにしないとね」
「ははは。部長が急降下するなんてあり得ないですよ。でも、こうやって龍の話だけでもこれだけ学びがあるわけですから、全部で六十四卦もある『易経』は学びの宝庫なんでしょうね?」
「万物の移り変わりをすべて陰陽の二つで解き明かしていているんだよね。それが孔子よりも前の時代に完成されていたというのは驚きだよ」
「ああ、次から次へと勉強したいものが増えていきます」
「欲張らずに、ひとつひとつモノにしていくといいよ。『易』という言葉には、変易・不易・易簡という三つの意味があるんだ。それを易の三義と呼ぶんだよ」
「ああ、昨日、松村先生が話していました」
「変易とは、すべて万物は移り変わらないものはないということ。不易は、その移り変わりには一定不変の法則があること。易簡とは、その易の法則を理解すれば、すべての事象が理解しやすくなるということ」
「はい。仕事にも通じるものがありそうですね」
「うん、仕事にも活かせる教えがたくさんあるだろうから、お互いに学んでいこう」
ひとりごと
『易経』は常にしっかり学びたいと思っている書です。
しかし、解説書も難解なものが多く、なかなか本格的に取り組めずにいます。
竹村亞希子先生の書籍は、とてもわかりやすく解説されているものが多いので、入門篇には最適でしょう。
【原文】
程子は「万物は一体なり」と言う。試みに思え、天地間の飛潜・動植・有知・無知、皆陰陽の陶冶中より出で来るを。我も其の一なり。易を読み理を窮め、深く造(いた)りて之を自得せば、真に万物の一体たるを知らん。程子の前、絶えて此の発明無し。〔『言志晩録』第20条〕
【意訳】
程子(程顥・程頤兄弟)は「万物は一体なり」と言っている。実際考えてみると、天地の間にある鳥・魚・動物・植物や知を有するもの、無知のものなど、これらはすべて陰陽の生成から生まれたものであって、この私もまたそのひとつである。『易経』を読んで理を窮め、深く道に達してこのことを自得してみれば、実際に万物が一体であることが理解できる。程子の以前には、このようなことを明らかにした人はいない。
【一日一斎物語的解釈】