今日の神坂課長は、幕田記念病院を訪れているようです。

「院長先生、病院開設80周年おめでとうございます」

「おお、神坂君。お花を贈ってくれてありがとう」

「ホームページを見させていただきましたが、この厳しい医療への逆風の中で、毎年来院患者数を増やしているのはさすがですね」

「この病院は私の祖父が開院したんだ。しかし、開院から20年後に祖父は急逝してね。一時は存続の危機もあったらしい」

「そうだったんですか?」

「その頃、私の父はまだ30代後半でね。K市民病院に勤務していたんだが、まだ院長職を引き受けるには経験が足りないとなって、院内で大いに議論がされたらしい」

「ほぉ」

「その危機を救ってくれたのが、当時N大学消化器内科の助教授だった永田先生だった。永田先生は助教授職を辞して、当院の院長に就任してくれたんだよ」

「凄い話ですね」

「永田先生は、祖父にとてもお世話になったらしいんだ。そのご恩返しだと話してくれたことを思いだすよ」

「永田先生は直接お会いしたいことはないですが、本当に徳の高い先生だと皆さんがおっしゃいますね」

「仙人のような人だった。永田先生はきっちり10年の間、院長職を務めてくれて、見事に病院を立て直してくれた。そして、10年目の終わりに父に院長職を譲って、自らは出身地のS村に帰って、村の小さな診療所で医師を続けられたんだよ」

「すごい人ですねぇ」

「おそらく大学に残っていれば教授になれたかも知れない。ただ、同じ世代に長谷川先生がいたからね。おそらく長谷川先生には適わないと思って、当院に来ることを選んでくれたんだと思う。当院にとっては、祖父が創始者で、永田先生が中興の祖といったところだな

「そして、今さらにこの病院を大きくしているのが、幕田先生なわけですね」

「私が院長になったのは18年前。永田先生のお考えを父も継続し、常に地域の人びとの健康を守るという姿勢で経営をしてきた。私はそれを引き継いだだけだよ」

「この前、中国の歴史の本を読んで、創業者や中興の祖という存在の偉大さを学んだのですが、それは国だけではないんですね」

「そうだよ。J医療器械さんだって、まだ若い会社だけど、これからいろいろと試練が訪れるだろう。そのとき、神坂君が中興の祖となれるようにしっかり勉強しないとな!」

「わ、私がですか?! それは無理です。ウチには佐藤もいますし・・・」

「何のために、中国の歴史を勉強しているんだ! それに今の私の話も聞いたんだし、覚悟を決めて取り組みなさい!!」

「は、はい!!」


ひとりごと

儒学は、孔子が基礎をつくり、孟子が敷衍して、漢代には国の学問として当用されました。

しかし、次第に仏教や道教に押されて、出世のための耳学問となってしまいます

宋代になると、儒学の低迷は哲学がないことだと感じた程子らを中心とした学者が学問を立て直し、朱熹がそれを朱子学として完成させます。

しかし、今度はやや哲学的で難解となってしまった朱子学に対して、王陽明は実践重視の陽明学を唱え、儒学は再び隆盛を極め、日本でも大いに採用されたのです。

儒学においても、始祖があり、中興の祖があるように、長く継続してきた企業にも当然、創業者があり、中興の祖と呼ばれる人がいるものです。

「鬼十則」をつくった電通第4代社長、吉田秀雄などは、電通中興の祖として有名です。


【原文】
孔・孟は是れ百世不遷の祖なり。周・程は是れ中興の祖、朱・陸は是れ継述の祖、薛(せつ)・王は是れ兄長の相友愛する者なり。〔『言志晩録』第26条〕

【意訳】
孔子と孟子は永遠不滅の儒教の始祖といえる。周濂渓と程明道・伊川の兄弟は儒教中興の祖であり、朱熹と陸象山は中興された儒学を集大成した人であり、薛敬軒(せつけいけん)と王陽明は実の兄弟のように親愛の仲である

【一日一斎物語的解釈】
儒学は孔孟という始祖に始まり、中興の祖と呼ばれる人物が学問を立て直し、さらに朱子が学問を集大成し、王陽明は朱子学に対して、実践を重視した学問を確立した。同じように、企業にも創始者、中興の祖といった人物は必ずいる。彼らの考え方や事績を忘れてはいけない。


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