今日は課長会議があるようです。

総務部の大竹課長と営業部の大累課長がなにやら揉めているようです。

「大竹さん、経費を節約することは理解できますが、高速道路をなるべく使うなというのはやり過ぎじゃないですか!?」

「いやいや、大累君。高速を使うなとは言ってないよ。ルート設定をしっかり行って、無駄なコストを発生させないでくれと言ってるんだよ!」

「基本的にはナビのとおりに道を選択しています。文句はナビに言ってくださいよ!」

「ナビに文句を言って解決するならそうしたいけど、そうできないから君に言ってるんだよ」

「そんなことをしたって大したコストカットにはならないでしょう?」

「そうでもないよ。例えば、雑賀君がいつもT市民病院に行くときに使っているルートがある。彼は週に3回程度はT市民病院に行っているよね。彼に、ルート変更してN高速を使うことをやめてもらえれば、月に2万円、年間で24万円のコストダウンになる」

「ほぉ、新人の1ヶ月分の給料くらいにはなるな」
神坂課長です。

「そのルートにすると、時間はどれくらいロスするんですか?」

「実際のところは雑賀君に聞いてみないとわからないけど、ナビの試算上だと10分程度遅くなるだけだよ」

「タイム・イズ・マネーですよ。10分だってバカにはなりません!」

「もちろん、緊急のときはやぶさかでないよ。仮に帰りだけでもルート変更してくれれば、12万円程度のカットが可能だ」

「大累の3ヶ月分の小遣いだな」

「2ヶ月ですよ!」

「マジで!? お前、そんなにもらってるのかよ。いいなぁ」

「おいおい、神坂君。話を関係ない方向に持っていかないでよ」

「タケさん、ごめん、ごめん。なあ、大累。タケさんの立場から会社に貢献しようと思えば、コストカット面を考えるのは当然だよな。俺たち営業は売上、とくに利益を稼ぐことが最大の貢献だけど、総務は稼ぐ部門ではない

「それはわかりますよ」

「しかし、いくら収入が増えても、無駄な出費を抑えなければ、会社の利益は増えない。つまり、営業は『入り』の面で力を尽くし、総務は『出づる』面の抑制に力を注ぐべきだということだ」

「そうですね。大竹さんもこんなことを言いたくて言っているわけではないでしょうから」

「大累君、理解してくれてありがとう。営業が働きやすい環境づくりをすることも我々の仕事だから、もちろんそちらでもいろいろ力を尽くすからさ」

「わかりました。まあ、雑賀だけで年間24万円なら、全社でしっかり高速代を見直せば、簡単に100万くらいはコストダウンできるかも知れませんね」

「純利で100万稼ごうと思ったら大変だぜ。1千万円以上の売上が必要になるからな」

「神坂君もありがとう。大累君、神坂君はね。遠方に行ったときでも、帰りを急がないときは下道で帰ってきてくれているんだよ」

「えっ、マジですか?」

「あれ、タケさん、知ってたの? まあ、毎回じゃないぜ。時間があるときや、ラジオをゆっくり聴きたいときにはな」


ひとりごと

ディスカッションをしていると、自分の主張を正当化したいあまりに、相手の意見をまったく受け入れない人がいます。

ときには、人格否定にまで及ぶことも・・・。(これ、昔の小生かも?)

相手の立場を尊重し、なぜそうした意見が出てくるのかを考慮すれば、そうした泥仕合にはならないはずです。

また、社内で議論する場合、自部門の利益を考えることも重要ですが、忘れてはいけないのが顧客視点です。

どちらの意見がお客様にメリットを提供できるかを常に忘れずにディスカッションするべきでしょう。


【原文】
朱・陸同じく伊洛(いらく)を宗とす。而も見解稍異なる。二子並びに賢儒と称せらる。蜀・朔の洛と各黨せるが如きに非ず。朱子嘗て曰く、「南宋以来、著実の工夫を理会する者は、惟(た)だ某と子静と二人のみ」と。陸子も亦謂う、「建安に朱元晦無く、青田に陸子静無し」と。蓋し、其の互いに相許すこと此の如し。当時門人も亦両家相通ずる者有りて、各々師説を持して相争うことを為さず。明儒に至り、白紗・篁墩(こうとん)・余姚・増城の如き、並びに両家を兼ね取る。我が邦の惺窩藤公も、蓋し亦此の如し。〔『言志晩録』第27条〕

【意訳】
南宋の朱熹と陸象山とは、同じく北宋の二程子(程明道・程伊川の兄弟)の学説を本としているが、やや見解は異なっている。 朱熹・陸象山の二先生は共にすぐれた儒者だとされている。その両者は、蘇軾を領袖とする蜀党や劉摯らの朔党が程明道の洛党と論争したような関係にはない。朱子はかつて「宋が都を江南に遷して以来(これ以前を北宋、以降を南宋とする)、教学の理解に懸命に力を注いでいるのは、ただ自分と陸象山だけである」といった。陸象山もまた「建安(朱子の生地)には、もう朱子のような人はおらないし、青田(陸子の生地)に陸象山はいない」といった。両者がお互いを認め合っていたことがここからわかるだろう。当時の門人達も互いに両家に出入りして、互いに師説を固辞して論争し合うようなことはなかった。明代の儒者の頃も、陳献章(号白沙)、程敏政、王陽明、湛若水などは、共に朱・陸両家の説から自説を得ている。わが国における藤原惺窩先生も同じであろう

【一日一斎物語的解釈】
社内にあっても、意見が異なることは当然のことである。しかし、相手のすべてを否定したり、人格を否定するようなことがあってはならない。お互いに啓発しあうという意識が大切なのだ。


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