今日の神坂課長は、総務部の西村部長、営業部の佐藤部長と3人で岐阜県の岩村を訪れているようです。

「久し振りに岩村に来ました。ここに来ると心が凛とします」

「以前に一緒に来たのは2年くらい前だったね」

「はい。佐藤部長と最初に岩村を訪れてからもう2年も経つんですね」

「一斎先生という人は、とても柔軟な発想の持主だったことが、『言志録』を読むとわかるよね」

「そうなんです。一斎先生は『陽朱陰王』と言わていました。つまり、表向きは朱子学を教えているが、柔軟に陽明学の思想も取り入れている、という意味です」

「ああ、そうなんですね。この前、サイさんの『論語』の読書会に出ていて、朱子学というのは、ちょっと頭でっかちな感じを受けたんです」

「陽明学は、『知行合一』という言葉で知られるように、行動を重視する学問だから、わかりやすいんだね。一方、朱子学は哲学的だよね。しかし、朱子学の思想には大自然の摂理が取り込まれていて、学ぶべきことはとても多い学問でもあるんだ」

「なるほど。さすがは佐藤部長です。」

「江戸幕府にとっての正規の学問は朱子学で、しかも一斎先生は昌平坂学問所という、いまで言えば東京大学にあたるような機関のトップを務めた人だ。その人が柔軟に陽明学を取り入れているんだから、その柔軟性と勇気には敬服するよね」

「西村さんの言うとおりです。だから、一斎先生の下で学んだ有名なお弟子さんには、朱子学者より陽明学者の方が多いようです」

「我々も見習わないとね。どうしても一つの思考に囚われると、自分の意見とは違う意見には同調できないというところがある。つねに、客観的に物事を見る眼を養わないとな」

「それが一番難しいですよね。会議で議論になると、いつの間にか相手に勝つことが目的になってしまいますから」

「そのためには、相手の主張を相手の立場になって考えてみる必要があるな。お互いに置かれている立場が違えば、当然考え方も変わってくるからね」

「そうですね。そして、我々のような商社の人間は、最後はお客様にとってどちらがお役に立てるかという視点で判断をしていく必要があります」

「神坂君の言うとおりだ。さて、今日は日帰りだからな。そろそろ昼飯を食べよう。近くに旨い蕎麦屋があるんだ。さとちゃん、運転手の神坂君には悪いけど、昼間から一杯やらせてもらおうよ」

「そんな言葉だけで、相手を思いやっているなんて思わないでくださいよ。ここは当然、一番年下で運転手もしている私に最上の昼飯を御馳走してもらわないと!」


ひとりごと

学問に限らず、誰しも一つのことに固執し過ぎると視野が狭まります。

相手の立場を思い、なぜ相手がそういう意見を主張するのかを探ることで、意外な共通点を発見し、そこから議論を一気に win - win なものに仕立てることも可能となります。

多様性を受け入れるということは、簡単なことではありませんが、最善の策を探る上ではとても重要な観点なのです。


【原文】
惺窩・羅山は其の子弟に課するに、経業は大略朱子に依る。而して其の取舎する所は、則ち特(た)だ宋儒のみならず、而も元明諸家に及べり。鵞峰も亦諸経に於いて私考有り。乃(すなわ)ち知る、其の一家に拘(かかわ)らざる者顕然たるを。〔『言志晩録』第30条〕

【意訳】
藤原惺窩や林羅山がその子弟に課した経書解釈は、概ね朱子に依っていた。ただそこに取捨選択を加える場合には、宋代の儒学だけではなく、元代や明代の諸家の説にも及んでいた。羅山の子の林鵞峰(がほう)もまた諸経書について『周易本義私考』や『大学或問私考』などの著作がある。これによっても、これらの先人達はただ一派の学に拘泥していなかったことが明確に理解できよう

【一日一斎物語的解釈】
たった一つの学説や立場に拘泥することは危険である。自分とは違う意見にも耳を傾け、幅広く客観的に物事を見る眼を養いたい。


1103602