今日の神坂課長は、佐藤部長の部屋にいるようです。

「一斎先生って、朱子学の大家ですよね。それなのに、当時は異端の学だとされた陽明学も教えていたらしいですね?」

「そこが一斎先生の凄いところでね。正規の場、つまり昌平坂学問所では朱子学を教えていたんだけど、私塾では陽明学も随所に取り入れていたようだね」

「ある意味で日本人的ですね。日本は神様も八百万の神を認めているし、なにかひとつのことに限定するという発想がないのが良いよなぁ」

「ひとつのことを正だと思ってしまうと、それとは違う意見を受け容れられなくなるからね」

「私もワンパターンの指導にならないように気をつけます。ところで、部長は陽明学の本も読まれているんですよね?」

「うん、陽明の『伝習録』は読んでいるよ。あとは日本の陽明学の祖と言われている中江藤樹先生の本も何冊かね」

「私も何か読んでみようかと思っています。何が良いですか?」

「陽明学というくらいだから、やはりまず王陽明の『伝習録』を読んだら良いんじゃないかな。あの本には『抜本塞源論』と呼ばれる名文があるからね」

「どんな内容なのですか?」

「簡単に言えば、本を抜き源を塞(ふさ)ぐということで、問題を解決するには抜本的な対策をすべきだということが書かれているんだよ」

「それは我々の仕事にも活かせそうですね」

「その中にとても有名な言葉があってね。神坂君は『事上磨』という言葉を聞いたことがあるかい?」

「いえ、ないです」

修養というものは、読書をしたり、あるいは何か特別なことをすることではなく、事上つまり日常の行動・実践を通じて磨いていくべきものだ、という教えを言うんだ。まさに実践を重視する陽明学のエッセンスのような言葉だよね」

「おー、益々興味が湧いてきました。伝習録』をさっそく読んでみます。その後は、中江藤樹かな?」

「素晴らしい。藤樹先生の本を一冊読み終えたら、藤樹書院に一緒に行ってみようよ」

「いいですね、ぜひお願いします!」


ひとりごと

何か新しいジャンルの本に挑戦するときは、まずはその道の代表者および代表的著作から入るのが王道でしょう。

ただし、中国古典の場合は、中国語を理解できない限り白文を読むことはできませんので、学者先生の訳に頼ることになります。

つまり、どの訳者・解説者を選ぶかも重要になってきます。

小生は守屋洋先生の本で中国古典の面白さに目覚めましたので、今でも守屋先生の本が出ると必ず購入します。

守屋先生から入って、別の学者先生の解説本を入手するというのが、小生のパターンです。


【原文】
王文成の抜本塞源論・尊経閣記は、古今独歩と謂う可し。陳龍川の酌古論、方正学の深慮論は、世を隔てて相頡頏(けっこう)す。並びに有識の文と為す。〔『言志晩録』第53条〕

【意訳】
王陽明の『抜本塞源論(ばっぽんそくげんろん)稽山書院尊経閣記(そんけいかくき)とは、古今を通じて他に類を見ないほど優れた文章である。陳亮の酌古論や方考孺の深慮論は、王陽明とは時代を異にしていながら、甲乙つけ難いものである。これらはみな有識者の文章といえよう

【一日一斎物語的解釈】
書を選ぶ際は、その道の有識者の名文を選んで熟読すべきである。


「事情磨錬」の文字は、下記ブログから転用しました。
https://kateidetaiken.jp/blog/180312


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