今日の神坂課長は、元同僚西郷さんの『論語』の読書会に参加しているようです。

「孔子の弟子たちは、孔子の言葉を各自が各々の方法で大切にしているのです」

「どんな方法ですか?」
神坂課長が質問したようです。

「たとえば顔回は、常にそれを実践しますと言っているし、子張は自分の常に身につける着物の帯に言葉を書き付けたというし、子路は日々暗誦したそうだよ」

「私は最近はすっかり子路のファンになったので、子路と同じく好きな言葉を毎日暗誦しようかな」

「いいね。方法はどうあれ、片時も忘れないようにするという意味では三者とも同じだよね」

「たしかにそうですね。私なんかは、座右の銘はこれです、なんてカッコいいことを言いながら、普段はその言葉を忘れていますからね」

「神坂さん、それは私も一緒ですよ」

「杉田さんもですか? 杉田さんなら常に意識して行動しているのかと思っていましたよ」

「実は手帳の最初のページに書いてあるんですけど、それでも毎日見返すことができていません。まだまだです」

「中江藤樹先生は、お弟子さんたちと毎朝『孝経』を読み上げたそうだよ」

「朝をそういう方法でスタートするというのは凛として良いですね。ところで、サイさんは、どういう方法で大切な言葉と取り組んでいるのですか?」

「私も子路と同じく、暗誦する派だな。実は最近、『教育勅語』の素晴らしさにあらためて気づかされてね。今は毎朝読み上げているんだよ」

「暗記したんですか?」

「できれば最後は暗誦したいと思っているけど、この年になると記憶力が低下してね」

「『教育勅語』に『孝経』か。どれも魅力的だなぁ。私も毎朝暗誦できるものを見つけます!」


ひとりごと

小生は最近、『教育勅語』の素晴らしさに改めて気づき、時々暗誦しています。

ロクに内容も知らない人に限って、『教育勅語』は戦争を美化する危険思想だと言います。

本当にしっかりと読み込んだ上でそう言っているのでしょうか?

もし「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼す」という部分が問題だというなら、百歩譲って、そこだけを改訂すればよいのではないでしょうか?

それとも、「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ」という部分もおかしいというのでしょうか?

極論で物事を論ずるべきではないと断じます!!


【原文】
顔淵、仲弓は、「請う斯の語を事とせん」と。子張は「諸を紳に書す」。子路は「終身之を誦す」。孔門に在りては、往往にして一二の要語を服膺すること是の如き有り。親切と謂う可し。後人の標目の類と同じからず。〔『言志晩録』第58条〕

【意訳】
孔子の高弟で徳行で優れているとされる顔回と仲弓は、「孔子から教えられた言葉を一生大切にして実践します」と言っている。子張は「孔子の言葉を帯に書き付けた」とされる。子路は「孔子から教えられたことを一生暗誦します」と言った。孔子の門下にあっては、弟子たちはこのように一つ二つの重要な言葉を拳拳服膺した。その身に切実であったと言えよう。後世の人々が目標としたのとはまったく異なる行為であったる。

【一日一斎物語的解釈】
自分自身が座右の銘とする言葉については、自分なりの方法で大切にし、真摯に取り組むべきである。


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