今日の神坂課長は、A県立がんセンターの多田先生と本屋さんに来たようです。

「神坂、腹を満たしたら次は心を満たさないとな!」

「先生、ごちそう様でした。お腹は満タンです」

「昔のお前は、腹は満タンでも心は空っぽだったからな」

「否定はできません」

「しかし、ただ本をたくさん読むだけでは心は満たされないぞ。かえって、心が下痢をするだけだ」

「実は最近、ちょっと心が下痢気味です」

「そうだろうと思ったよ。読書が好きになるとそういう時期がくる。しかし、それに気づいただけでも大したものだ」

「どういう読書をすればよいのですか?」

「読書というのは、言ってみれば横方向の学びだ。知識を増やすことはできるが、知識というのは持っているだけでは何の意味もない」

「おっしゃるとおりです」

「一冊の本を読み終えたら、その本の中の最も心に響いた一行で良いから、それを実践して究めていく必要がある」

「それは、縦方向の学びになるのですね」

「そうだ。最近、お前と会話するのが楽しくなってきたよ。ちゃんとそういう答えが返ってくるからな」

「昔はつまらなかったのですか・・・」

「いや、別の意味で楽しんでいた。こんなバカで純粋な奴がこの地球上にまだ生存していたのか? という感覚を楽しんでいたな」

「私は絶滅危惧種ですか?」

「そうかも知れないな。しかし、今のお前はもうそのレベルではないよ」

「うれしいです!」

「さて、取り寄せていた本が届いたらしいから、カウンターに行ってみるか」

「何を取り寄せたのですか?」

「『呻吟語』だ。これも中国古典のひとつだよ。古典といっても、明の時代、ちょうど徳川幕府が成立し
た頃の本だがな」

「どんな本なのですか?」

「簡単に言えば、中国の『言志四録』ってところかな。呂新吾という人が約30年をかけて書いた本だ。公田連太郎の訳注版が良いと聞いたので、取り寄せてみたんだ」

「縦方向の学びになりそうな本ですね」

「じっくり取り組んでみるさ」


ひとりごと

読書のすすめの清水店長が「縦糸の読書」ということを提唱されています。

清水店長は、「縦糸の読書とは、時代が変わっても変わらない知恵であり、横糸の読書とは、その時代の流行(はや)り、その時代にしか通用しない道徳、時代が変わったら善であったモノが簡単に悪になってしまうような知恵のこと」だと言っています。

一斎先生のこの言葉も、「流行に流されず、本物の本を読み、心を磨け」というメッセージなのではないでしょうか?

縦糸の読書を心がけましょう。


【原文】
心理は是れ竪の工夫、博覧は是れ横の工夫。竪の工夫は則ち深入自得し、横の工夫は則ち浅易氾濫す。〔『言志晩録』第63条〕

【意訳】
理を心に究めることは縦方向の学問の工夫、広く読書見聞することは横方向の学問の工夫である。縦の工夫は深く心を究めて自ら悟ることを可能にするが、横の工夫は浅い表面的な知識が多いばかりで意味をなさない

【一日一斎物語的解釈】
学びには縦方向の学びと横方向の学びがある。広く知識を得ること(横方向の学び)にばかり意識が向くと外面的に飾ることとなり意味をなさない。自らの心と取り組むこと(縦方向の学び)が、自分の内面を磨くこととなり、本当の学びとなるのだ。


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