今日の神坂課長は、A県立がんセンターの多田先生のところにお邪魔しているようです。
「そうだ、そこでスコープを捻るんだ。おお、君は素直でいいな。かなり挿入がうまくなったじゃないか」
若手の先生が大腸内視鏡検査をしており、多田先生が後ろから指示をしています。
「そこは押さない方がいい。むしろ引いてみろ、そうすればスコープが前に進むから」
検査終了後、医師控室で多田先生と神坂課長が歓談をしています。
「多田先生の教え方って、あんなに優しかったでしたっけ?」
「神坂、時代を考えて指導をしないとな。昔みたいに『この、たわけ!』なんて言って指導していたら、一発でアウトだよ」
「ですよね。昔の多田先生はめっちゃ怖かったですから」
「お前は未だに、ガミガミやってるんだろう?」
「そ、そんなことないですよ。だいぶ柔らかくなりましたよ」
「神坂、気をつけろよ。今は弱い奴が弱さを武器にする時代だ」
「はい」
「しかし、若い奴の機嫌を取る必要もない。ただ、彼らの長所をよく見て、そこを伸ばしてやればいいんだ」
「ああ、先ほどの先生のアドバイスはまさにそんな感じでしたね」
「俺は人に使われるのは大嫌いだから、いつかは人の上に立って人を使う立場になりたいと思ってきた。しかし、いざそうなってみると、人を使うというのは簡単なことじゃないよな」
「はい。私の場合はそんなことを考えたこともなかったのに、いつの間にかそういう立場になっていました」
「俺たち医者が最も大切にすべきは、患者にメリットを提供できるかどうかだ。お前たち営業マンの場合は、どちらが顧客にメリットを提供できるかを考える。そこを忘れなければ、大きな間違いはない」
「はい。その軸だけはブラさないようにするつもりです」
「医者同志のメンツの張り合いだとか、営業と開発の間の責任のなすり合いだとか、そんなものほどみっともないものはない。もっと大所高所に立ったモノの考え方をすべきだよな」
「はい。肝に銘じます」
「肝か。いいな。よし今日の昼飯はうなぎにするか。肝吸い付きでな!」
「待ってました!!」
ひとりごと
せっかく人の上に立ったなら、下にいる人たちの長所を伸ばし、彼らの自己実現を通して、組織のパフォーマンスを最大に高めたいものです。
そのためには、リーダー自身が大所高所からモノを見る力をつけねばなりません。
部下と知識やスキルを競うような情けないリーダーにはなりたくありません!
【原文】
大に従う者は大人と為り、小に従う者は小人と為る。今の読書人は攷拠瑣猥(こうきょさわい)を以て能事と為し、畢生(ひっせい)の事業此に止まる。又嘆ず可し。此に於いて一大人有り。将に曰わんとす、「人各々能有りて器使す可し。彼をして矻矻(こつこつ)として考察せしめて、我れ取りて之を用いば、我れは力を労せずして、而も彼も亦其の能を効(いた)して便なり」と。試に思え、大人をして己を視て以て器使一輩中の物と為さしむ。能く忸怩たる無からんや。〔『言志晩録』第66条〕
【意訳】
学問をするに際して、大所高所に目をつける人は大人物となり、細かく小さい所にしか目の届かない人は小人物となる。現代の読書家は瑣末なことをほじくり出して考証することを自分のやるべき事だと理解して満足しているので、大きな仕事ができないのである。嘆かわしいことである。ここに一人の大人物がいて、今の読書家にこのように言う、「人には各々に能力の違いがあり、その能力に応じて用いるべきである。そこで彼に苦労して考えさせて、その結果を自分が活用すれば、私自身は力を労することなく、しかも彼もその能力を発揮することができ、大いに良い結果となろう」と。考えてみよ、大人物から自分が一種の器具として利用される程度の人物だと見なされたならば、学問をする者として誠に恥じ入るべきことではないか。
【一日一斎物語的解釈】
どうせこの世に生を受けたなら、人に使われるよりは、人を使う人になりたいものだ。その際、自分の下にいる人たちの長所をいかんなく発揮させることができれば、お互いにとって幸せなことである。そのためにも些末なことに拘らず、大所高所から物事を見る目を養うべきだ。