今日の神坂課長は、全日本柔道選手権大会のT地区予選を観戦中のようです。
「雑賀が柔道をやっていたとは知らなかったな」
「神坂さん、これでも柔道は二段です。もう二十年以上続けています」
「へぇー」
「なんですか、その疑い深い目は?」
「お前の言動は武道をやっている人間の言動とは思えないことが多いからな」
「それは偏見ですよ。武道をやっている奴にもいろいろなタイプがいますから」
「なんだよ、開き直る気か?」
「おー、豪快な背負いだ。見事一本!」
「投げた方は気持ちいいだろうな」
「予選の最初の方は力の差がある選手同士が戦うので、豪快な技が決まりやすいんです」
「たしかにな。一見してどっちが強いかわかるな」
「本当ですか、神坂さん凄いですね」
「なんていうのかな、強い方は明らかに自分の間で試合をしているよな。相撲の立ち合いもそうだけど、相手の呼吸を自分の呼吸に合わせた方が勝つもんだよ」
「そうかもしれませんね。しかし、だんだん勝ち上がってくると実力差がなくなってくるので、接戦になりますよ」
「なるほどな。こうやって試合前にどちらが勝つかを予測するのは勉強になるな。見る側も心を落ち着けて心の目で観ようとすると、意外と勝敗が見えるかも知れない」
その後、順調に試合は進み、決勝戦を迎えたようです。
「じゃあ、神坂さん。この2人はどちらが勝つと思いますか?」
「ちょっと待てよ」
神坂課長は1分ほど沈黙して、じっと両選手を見比べています。
「あの山崎って選手じゃないかな。加藤という選手はやや落ち着きを欠いている」
「そうですか? でも、加藤はこれを勝てば地区大会3連覇ですよ」
「へぇー、そうなのか。でも、あきらかに山崎の方が自分の間で準備できている気がするけどなぁ」
結果は、なんと大方の予想を裏切り、山崎選手が判定勝ちを収めました。
「すごいなぁ、神坂さん。俺は絶対、加藤が勝つと思っていたけど・・・」
「武道は一対一の真剣勝負だから、こういう観方は面白いな。チームスポーツだとチーム全体のムードを視なければいけないから、簡単に予測はできないけどな」
「神坂さん、変わりましたね。何事も仕事に絡めて見るなんてすごいな」
ひとりごと
スポーツなどの対戦において、実力が拮抗した選手同士が対戦する場合、最後は精神力の差が勝敗を分けるものです。
その場合、自分の間で、自分のルーチンをしっかりとやり切れる選手の方がより勝利に近づくものではないでしょうか?
仕事においても同じでしょう。
緊張する大舞台でこそ、自分の間を意識し、日ごろからルーチンを決めて、それを淡々とこなしていくべきなのかもしれません。
【原文】
余は好みて武技を演ずるを観る。之を観るに目を以てせずして心を以てす。必ず先ず呼吸を収めて、以て渠(かれ)の呼吸を邀(むか)え、勝敗を問わずして、其の順逆を視るに、甚だ適なり。此も亦是れ学なり。〔『言志晩録』第88条〕
【意訳】
私は武道の試合を観戦することが好きである。その際は、目で観るのではなく、心で観ることを意識している。必ず最初に呼吸を整えて、選手の呼吸をつかみ、勝敗を問うことなく、呼吸や心の動きを観るのだが、これでその結果を当てることができる。これもまた学問といえるかも知れない。
【一日一斎物語的解釈】
勝負事というのは、冷静に呼吸を整え、自分の間で戦う側に勝機が訪れるものだ。

