シンガーソングライターの笠谷俊彦は、アルバムの楽曲づくりの大詰めを迎えていたが、どうしても納得のいくメロディがつけられない曲があり悩んでいた。
「もしもし、ふちさんですか、笠谷です。ちょっと相談に乗ってもらえませんか?」
笠谷は、今回のアルバムの作詞を担当したふちすえあきの下を訪ねた。
「なんだ、笠谷。えらくげっそりしてるじゃないか」
「最近、あまり眠れていないんです。どうしてもメロディが降りてこない曲がありまして」
「どの曲だ?」
「『生まれてきた意味を』です」
「ははは。その曲はアルバムのハイライトとなる曲だぞ」
「わかっています。だから、どうしても納得のいくメロディを紡ぎたいのです」
「笠谷、お前はまた売れる曲を書こうと思っていないか?」
「え?」
「このアルバムは誰のためのあるんだ?」
「そ、それは、俺のように挫折して苦しんでいる人たちのためです」
「そこを忘れるな。それこそがこのアルバムの根底にあるものだ。挫折した人の心に生きる勇気、再び立ち上がる力を与えることができるアルバム。それが俺たちが作り上げたいものだったよな?」
「はい」
「スランプの時ほど、基本に忠実に、初心に戻るんだ。お前が歌手になる前にお前の心を震わせた曲を思い出せ」
「俺のヒーローは長渕剛さんです。久しぶりに長渕さんの曲を聴いてみようかな?」
「それもいいだろう。笠谷、焦るな。お前が納得するまで、もがき苦しむんだ。お前のこれまでに経験した苦しみや悲しみをさらけ出せ!」
「ふちさん、ありがとうございます。もう一度、苦しんでみます」
「その前に一軒、付き合えよ」
ひとりごと
ここで一斎先生が取り上げた兵法書『呉子』の言葉は、「反本復始」という四字熟語としても知られています。
その意味は、繰り返し本質に問いかけて答えを見つけるということでしょう。
そのためには、初心を忘れず、基本に忠実に仕事を進めていくしかありません。
悩んだとき、立ち止まったときこそ、初心と基本に復えるべきなのです。
【原文】
「道とは本に反り始に復る所以なり」と、語は呉子に見ゆ。吾れ意(おも)わざりき。兵家の此の道学を講破せんとは。〔『言志晩録』第100条〕
【意訳】
「道とは本に反り始に復る所以なり」とは、兵法書の『呉子』にある言葉である。兵法家である呉起がこのような道の心理を喝破するとは、私は思いもしなかった。
【一日一斎物語的解釈】
迷ったら常に初心に戻り、基本を徹底する。これがスランプを克服する最大のコツである。