今日の神坂課長は、地元の神社で開催されている流鏑馬を見学に来たようです。
次男の楽(がく)君が一緒にいるようです。
「とうさんは子供の頃、この流鏑馬に憧れていたんだ。いつか馬に乗って、馬上から的を射抜いてやるって思っていたんだよ」
「へぇー、それで実現したの?」
「いや、馬に乗る機会もないままだ」
「なんだよ。思うだけじゃなにも叶わないじゃん」
「厳しいこというなぁ。まあ、そのとおりだけどな。(笑)」
そのとき、馬に乗った小学校高学年の男の子が、ふたりの前を疾走していきました。
「昔の侍は、ああやって皆、馬を操り、馬上から弓を射ることができたんだ。すごいよな」
「うん恰好いいね。でも、なぜ馬に乗れる人が減ってしまったのかなぁ?」
「鉄砲の影響だよ。鉄砲は弓に比べて、はるかに遠くの敵を撃ち抜くことができるからな」
「そうか。それで弓も廃れてしまったんだね。僕の学校の弓道部は、部員が3人しかいないよ」
「それは寂しいな。古来からある伝統的な競技だし、残ってほしいよな」
「この流鏑馬はたしかに恰好いいけど、普段の弓道はあまり興味がないな」
「それは残念。お前がここを疾走する姿を見てみたかった」
「あの弓は木でできているのかな?」
「今日のような神事で使われる弓は通常、梓弓(あずさゆみ)と呼ばれるんだ」
「梓って何?」
「一般的な木の名称だよ。ただ、現代では梓と呼ばれる木は存在していない。どの木が梓と呼ばれた木なのか、今では諸説あるようだ。いずれにしても、神事で使われる弓を一般的に梓弓と呼ぶようになったらしい」
「でも最近の弓道の弓はグラスファイバーとかカーボンファイバー製らしいよ」
「そうなのか? カーボンファイバーの弓で流鏑馬をやられたら、雰囲気が台無しだな」
「たしかに、そうだね。木製の方が雰囲気がでるなぁ」
「鉄砲が登場するまでは、馬の上で操作する武器としては、弓が一番使い勝手がよかったらしい」
「そうだろうね。刀だと敵に近づかないと斬れないし、長刀では、馬上でコントロールできないもんね」
「こういう行事を見ると、そういうことがリアルに想像できるねぇ。伝統的な行事を残すのは大変なことらしいけど、ぜひ継承して欲しいな」
「とうさん、今から練習してみたら? 諦めずにチャレンジしてみるべきじゃない?」
「今更か?」
ひとりごと
実は小生、一度も流鏑馬を観たことはないのですが、流鏑馬が実施されている神社には何度か足を運んでいます。
その場所で、目を閉じると、流鏑馬の情景が浮かび、さらに戦国時代の戦のシーンが脳裏に浮かびあがります。
古き良き時代の伝統とは、人間の歩んできた歴史の足跡でもあります。
ぜひ、末永く継承して欲しいものです。
【原文】
我が邦は古より弓箭(きゅうせん)に長じ、然も古に於いては皆木弓にて、即ち謂わゆる梓弓なりき。或いは謂う。木弓は騎上最も便なりと。須らく査すべし。〔『言志晩録』第108条〕
【意訳】
我が国は昔から弓術に長じており、しかも昔はすべて木製の弓、すなわち梓の木で作った弓であった。ある人が言ったことばに「木弓は馬上で操作するのに最も適している」とある。よく調査してみるべきだ。
【一日一斎物語的解釈】
伝統の継承は、多くの無形文化における大きな課題となっている。先人が刻んできた足跡を消さないためにも、伝統の継承を考えたいものだ。