大累課長が雑賀さんと面談中のようです。
「以前に比べればだいぶマシにはなったのですが、やっぱりまだ同僚との距離を感じるんですよね」
「へぇー、どの辺と距離があるんだよ?」
「廣田君とか本田君あたりとは、心の壁を感じます」
「誰のせいだろうな?」
「俺のせいだと言いたいんでしょ? まあ、そうだと思いますけど、最近は接し方を変えているのに全然響かないんですよ」
「そのお前の嫌味たっぷりな言い方が問題なんじゃないの? いまもそうだけど、お前と話すと大概イラっとするもんな」
「え、今の俺の話し方になにか問題がありました?」
「気づいてないもんなぁ。その嫌味を封印するのが先決じゃないの」
「俺、嫌味を言ってます?」
「うん。たっぷりな」
「マジですか・・・」
「社長が当社の社員さんはみんな家族だと言っているだろう。だから、お前は廣田や本田とは兄貴のように接しなければいけないんだと思う。それなのに、何か相談するとすぐに嫌味を言われるんじゃ、誰も相談しないよ」
「兄貴かぁ。たしかにあいつらを弟だと思ったことはなかったな」
「ちょっと苦手意識もあるだろう? 石崎なんかに比べるとな」
「それはありますね」
「そういう気持ちは相手にも敏感に伝わるからな。とにかく心の壁は双方にあるはずだから、まずはお前の壁をぶち壊すのが先だよ」
「そうですね。弟に手を差し伸べるつもりで応対してみます」
「来月の面談が楽しみだな!」
ひとりごと
同僚との接し方に苦労している人は多いようです。
しかし、相手だけに一方的に壁があるということは稀なケースではないでしょうか?
同じ建物に住む家族だととらえて、自分の立ち位置や役割を考え、そこから採るべき行動を決めてみるのも一計です。
【原文】
僚友に処するには、須らく肝胆を披瀝して、視ること同胞の如くなるべし。面従す可からずと雖も、而も亦乖忤(かいご)す可からず。党する所有るは不可なり。挾む所有るは不可なり。媢疾(ぼうしつ)する所有るは最も不可なり。〔『言志晩録』第149条〕
【意訳】
同僚と交際するときは、総じて心の中をさらけ出して、兄弟のように振舞うべきである。なんでも言うことを聞くというのも良くないが、叛き逆らうのも良くない。徒党を組むのも宜しくないし、胸に一物をもって付き合うのも宜しくない。そねみにくむようなことは最も良くない。
【一日一斎物語的解釈】
同僚と接する際には、心の壁を取り払い、本心で接することを意識すべきだ。すべてに同意したり、すべてに反対したり、徒党を組んだり、面従腹背というような態度をとることは、真の同僚の接し方ではない。