今日の神坂課長は、営業2課の善久君と商談の打合せをしているようです。
「なぜ、ここまでY社の今枝さんが価格を下げて取りに来るのか、私には理解できません」
「そうだなぁ。これってY社からしたら赤字じゃないの?」
「そうなんですよ。明らかに赤字だと思うんです」
「今枝さんがそこまで感情的に来てるということには、何か理由があるんじゃないか? お前、心当たりはないのか?」
「あっ、ありました! 去年の今頃、明石クリニックさんの商談で、デモもしていないのに、価格を下げて横取りしたことがあります」
「それだよ! もちろん営業である以上、売り上げを上げることは大切だが、この業界の暗黙のルールがあることも忘れないようにしないとな」
「あの時は、院長先生が私の父と知り合いだというので、価格を出すように言われたんです」
「そうだったな。その状況だと断れないな。しかし、今枝さんが腹を立てるのも理解できるよな」
「はい、デモもしていないのに、後出しで価格で取られたら、私も腹が立ちます」
「怨みを買うときというのは、大概は自分に非があることが多いものだ。それをよく把握せずに、怨みに怨みで報いると泥仕合になるだけだ」
「そうですよね。ここは、今枝さんと話をしてみましょうか?」
「場合によっては、この商談を降りるか?」
「でも、ここで降りてもY社さんの赤字は変わりませんよね?」
「ということは、彼の怨みは晴らせないわけか」
「どうしましょうか?」
「あまり良い手だとは思えないが、Y社と取引をするかな」
「談合ですか?」
「お前、そういうことを大きな声で言うなよ。状況に応じて臨機応変な対応をするということだ。あとは任せてくれ」
ひとりごと
恩には報恩を心掛けるべきですが、怨みに対しては報復してはいけない。
もちろん正論ですが、しかしいざ喧嘩を売られるとついついその土俵に上がってしまうのも人情です。
もちろん、一方的な怨恨であれば、正々堂々と対処すべきかもしれませんが、その前に、なぜ怨みを買うことになったのかを一度落ち着いて考えてみよ、と一斎先生は言います。
実際に、冷静に考えてみれば、自分の側に非があるということは、決して少なくないのではないでしょうか?
【原文】
恩怨分明なるは、君子の道に非ず。徳の報ず可きは固よりなり。怨に至っては、則ち当に自ら其の怨を致せし所以を怨むべし。〔『言志晩録』第150条〕
【意訳】
恩には恩で、怨みには怨みで報いるというのは、君子の道とはいえない。恩を受けてこれに報いることは当然である。しかし怨みについては、なぜ自分がその怨みを買うことになったのかに思いを致し、自分自身を怨むべきである。
【一日一斎物語的解釈】
恩に感謝し報いるのは当然である。しかし、怨みに対しては、報復などはせず、なぜ怨みを買うことになったのかをよく反省すべきであろう。