今日の神坂課長は、佐藤部長の部屋に居るようです。
「『言志晩録』の言葉に、自分の言動を自分の目と耳でチェックしろ、というのがありました。でも、それって録音したり録画しないといけないですよね? 一斎先生の時代はどうしていたのでしょう?」
「ははは、そうだね。その時代にビデオカメラやICレコーダーはないものね」
「ええ。今はスマホでどちらもできますけどね」
「おそらく心の目と心の耳を使いなさいということだろう」
「心の目と心の耳ですか?」
「うん。常に自分を客観的に見つめるもう一人の自分を意識するということかな」
「なるほど。なかなか難しいですね」
「でも、もしそういう客観的なもう一人の自分を持てたら、失敗も少なくなると思うよ」
「たしかにそうですね。私の場合、ムカっと来たら、反射的に反論したり、罵声を浴びせてしまいます。ムカっときた時に、もう一人の自分の立ち位置から自分を見たら、そういう行動を抑えられるかもしれません」
「そう。そうやって自分を正していけば、自然と人はついてくる、と一斎先生は言っているよね」
「はい。あ、そうだ!」
「どうしたの?」
「今度の営業2課の会議で、営業のスキルについてディスカッションする予定なのですが、そこでロールプレイングをやってみようかな?」
「それを録画するんだね?」
「はい。それを見せてあげれば、メンバーも客観的に自分の言葉や行動を振り返ることができますから」
「いいね。お客様の役は誰がやるの? 意外とそこが大事なんだよ」
「はい。私がやりたいところですが、ここは冷静な山田さんにドクター役をやってもらいます。実は山田さん、かつて演劇部に所属していたそうですよ」
「へぇ、それは初耳だ。どんなドクターの役もこなしてくれそうだね」
「はい。でも、山田さんに短気なドクター役ができるかな? 仏の山さんですからね。面白いな、敢えてやってもらおうかな」
ひとりごと
自分を客観的に見つめるもう一人の自分を持つことができたら、多くの失敗を未然に防げるのだと一斎先生は言います。
自分の性格の悪い癖が出そうになったら、的確にアドバイスをしてくれるもう一人の自分を意識して作り上げてみませんか?
30代のときの自分にこのことをアドバイスしてあげたいなぁ。
【原文】
我が言語は、吾が耳自ら聴く可し。我が挙動は、吾が目自ら視る可し。視聴既に心に愧(は)じざらば、則ち人も亦必ず服せん。〔『言志晩録』第169条〕
【意訳】
自分の発する言葉は自分の耳で聴くべきである。また自分の挙動についても自分の目で視るべきである。自らの目や耳で見聞きして心に恥じる気持ちが生じないようであれば、他人もまた必ず自分に心服するであろう。
【一日一斎物語的解釈】
定期的に自分の言葉や行動を自分の目と耳で確認すると良い。自分で自分を客観的に見聞きして、特に違和感を感じなければ、人間関係は良好なものになるはずである。