神坂課長は、社長室に呼ばれたようです。

「神坂、お前もだいぶマネージャーらしい顔つきになってきたな」

「ありがとうございます。いつの間にか営業部の3課長の中では一番古株になりました」

「年が経つのは早いな。お前はいくつになった?」

「42歳です」

「そうか、じゃあ去年が本厄だったんだな。大きな問題もなく過ぎて良かったじゃないか?」

「別に厄払いをした訳でもないんですけどね。そもそも本厄だということをほとんど忘れて過ごしました」

「ははは。お前らしいな。しかし、後厄も気を抜くなよ」

「はい」

「ところで、そろそろお前も次のステップを考えないといけないな」

「次のステップですか?」

「営業部全体をまとめていくことを考えろ、ということだ」

「佐藤部長がいるので、私はナンバー2で良いですよ」

「佐藤にもステップアップしてもらいたいんだよ。西村さんもあと1年と少しで定年だからな」

「ああ、そうですね」

「課長としてのミッションは、自分の力で問題を解決できる人材を育てることだと伝えてきたよな。これからは、お前自身が徳を磨き、己に克つことを意識してくれ」

「どういうことでしょうか?」

「誰も見ていないときであっても、正しく生きることを意識しろということだ」

「慎独ですね?」

「ほぉ、難しい言葉を知っているじゃないか」

「平社長は、慎独を常に心がけてきたのですか?」

「そうだな。俺が社長になって以来、自分自身に課してきた最大の課題が克己、言い換えれば慎独だ」

「私はまだまだですよ。ギャンブルもやりますし、すぐにキレますし、とても佐藤部長には及びません」

「だから、強く意識をしろと言っているんだ。俺だっていつも己に克ってきたわけではないさ。時には誘惑に負けたこともある」

「社長もですか?」

「いいか、神坂。人間は完璧ではない。誰だって過ちはある。しかし、その過ちを極力少なくすることを心掛ければ良いんだ」

「はい」

「お前には期待しているんだ。今日から今まで以上に慎独を意識してくれないか?」

「承知しました。ご指導、ありがとうございます」


ひとりごと

独りを慎み、己に克つことは、本当に難しいことです。

長く生きれば生きるほど、その思いを強くします。

一方で人間は完璧でないこともよく承知しています。

だからこそ、完璧に少しでも近づけるように精進するのです。


【原文】
仁者は己を以て己に克ち、君子は人を以て人を治む。〔『言志晩録』第173条〕

【意訳】
仁徳を有している人は自発的な力で自分に打ち勝ち、立派な人は人の自発性を育てて人を治めるものだ

【一日一斎物語的解釈】
経営トップは、常に克己を心掛け、リーダー層は、人の自発性を育てて組織をマネジメントすることを意識せよ。


16062